がんと歩んだわが人生
胃全摘手術を受けて12年
杉村 隆(89歳)
国立がん研究センター名誉総長
東邦大学名誉学長
子供の頃より生き物が好き
小生は1926年、東京で生まれた。父は精神病院を経営していて、母は家でピアノ教室を開いていた。幼少期は昆虫などの生物に接することが楽しくてたまらなかった。
小生は東京の京華中学、府立高等学校を経て東大医学部へ進み、インターン後、放射線科に入った。放射線科の教授、先輩、後輩には逸材がそろっていて、こうした人々との触れ合いで研究生活の基礎を固めることができた。
診療も担当したが、最初に担当した進行がんの患者さんに、当時の放射線治療の機械は無力であったという思いがあった。がんはきわめて生物学的な病気であるということもある。細胞レベル、分子レベルでその生物学を研究しなければ、征服できない病気である。元々、生物学に強い関心を抱いて、小生は医学の中でも最も基礎的な分野へ傾斜していった。
1956年末にメリーランド州の米国立がん研究所(NCI)とオハイオ州のウェスタンリザーブ大学に留学。3年間のアメリカ留学を終え、東京・大塚の財団法人癌研究所に勤務した。
1962年に国立がんセンターが厚生省の機関として発足した。小生は以後、ここで40年以上にわたってがんの研究にかかわるとは夢にも思っていなかった。そして、小生自身が胃がんにかかることも…。
がんの研究者が、がんになる
2003年3月17日、77歳のときだった。がん研究者にとっても定期検診は重要なことはいうまでもないが、講演などで延びのびになっていた。
検査当日はいつもの通勤電車をやめて空腹でタクシーに乗り、国立がんセンター中央病院に向かった。検査は斎藤大三内視鏡部長(以下、肩書は当時)、後藤田卓志先生の指示で内視鏡検査を受けた。当時、これといった症状はなく、減量を心がけていたくらいだった。たばこは飲まず、酒も飲まない。検査室では、まな板の鯉に徹した。
検査を終えて、斎藤先生から早期胃癌があるといわれた。内視鏡写真で「十円玉より小さく、百円硬貨くらいの大きさ」だという。あとで硬貨の大きさを計ったら同じ大きさだった。
国立がんセンターの初代総長の田宮猛雄先生は胃がん、2代目の比企能逹先生は大腸がん、4代目の塚本憲甫先生は胃がん、6代目の石川七郎先生は肝がんで亡くなっている。巷間、がんセンターの総長はがんで亡くなる、がんは伝染するという人もいた。私だけは死にたくないと内心思った。
翌18日、佐野武医長が外科的立場から説明してくださり、「胃の全摘出になるでしょう。手術は2時間、退院は2週間後に。生検病理組織の結果を待ちましょう」という。
といっても他の患者さんのスケジュール、病室の空き具合などもあり、すぐに入院とはいかない。個人的にも約束した講演もあり、私の心臓の既往症が全身麻酔に耐えられるかどうかも斎藤先生に相談した。諸事をクリアして、4月8日に手術することになった。
ICUで「ここはどこだ?」
3月20日に主治医の笹子充第一領域外来部長からリンパ節転移の可能性があり、きちんとした外科手術を行うこと、術後ダンピング症状が起こることなどを説明された。入院中の病状経過、処置予定表などが書かれたクリニカル・パスという書類をいただいた。これはあとで私が「聖書」と呼ぶようになった大切な書類で、何千例にも及ぶ国立がんセンターの胃がん手術の経験によって作られたという。
手術に伴う心臓のリスクについては、これまで長く診てくださっている慶應義塾大学病院の三田村秀雄先生に術前の検査とアドバイスをいただいた。
手術は9時15分に始まり、12時過ぎに終わった。がん部の内視鏡下の粘膜切除、または胃の上部切除などの選択肢があったが、笹子先生、佐野先生の決断で、胃の全摘(術法はルーワイ法)になった。残胃がんなどの可能性もなくなってしまったのでありがたいと思った。
「手術は成功しました」と義弟夫婦はいわれたという。ICU(集中治療室)に会いに来た義弟に「義兄さん、しっかり」といわれ、小生は「うん」とか何とかいい、そのうち「ここはどこだ」といったそうだが、一切記憶にない。術後は〝聖書〞を手に日のたつことを望んだ。
小生の場合は、手術は全身麻酔で行われたし、硬膜外麻酔も有効なので、痛みはよくコントロールされていた。喉が渇くとか、点滴の不自由さとか、5本の管が入っていることによる苦しさはあったが、予定より早く11泊後には退院となった。典型的なクリニカル・パスの経過をたどった。
抜糸をして退院すると、あとは定期的に外来で術後の回復の経過を診察することになる。一般的にいえば外科医は次の患者さんに忙しく、術後の患者さんは何とかうまく日常を過ごしていることを希望しながら関心が薄れがちである。一方、退院後のリハビリ、社会復帰への経過は一人ひとりの患者によりさまざまである。
書き落としたが、笹子先生が退院2日前に病理組織検査の結果を説明してくださった。「直径5㎝くらいの大部分のがんは、粘膜上皮内にあるが、粘膜下にもがんが及んでいるところが少しあります。分化型で52個のリンパ節は全部がん細胞陰性です」という。それでも離れたところへのリンパ節転移の可能性は1%くらいあるという。
私くらいの年齢になるとどこかの臓器にも、今回のがんと関係のないがんが発生する可能性も1%くらいあるので、あまり気にしない。多くの人が「そんな小さい進行がんでもないのに胃の全摘?」というが、私は文献から正しいと満足している。
私の食事
退院後の食事は国立がんセンター中央病院の栄養管理室が作った『胃の手術を受けられた方のお食事について』という冊子が役に立った。
一番大切なことは
- 「分割食にしましょう」。1日3食の間に、10時と15時にビスケット、牛乳をとった。
- 「よく噛んでゆっくり食べましょう」。胃切除後は食べ物がすぐ腸に届くので、胃の働きを意識的に口で代行しなければならない。よく噛むことは当然だが、噛み過ぎると義歯が口腔粘膜に刺激を与え、そこに繰り返しつくられる傷から前がん状態になる可能性も少しはある。
- 「食事時間を規則的にしましょう」。自宅にいるときは良いが、社会復帰が始まるとなかなか難しくなる。努力することと、少々浮世の義理を欠く覚悟をすることである。
- 「食事内容は段階的に進めましょう」。笹子先生より、「何でも良いが、少しずつ始めてみて、トライ・アンド・エラーを臆病に実行して様子を見るのが良いといわれ、実践している。
- 「食べ過ぎないように気をつけましょう」。まだ食べられるかなと思いながらも少しずつ皿に残すようにする。洋食のコースでは半分くらい食べることにして、フォーク、ナイフを平行にしておけば下げてくれる。外食よりも、自宅で自分の好きなものを食べるときに失敗しやすい。
- 「アルコールは術後、少量は飲むことができる」。私はアルコールを飲まなかったので問題がないが、一般に炭酸ガスの多いビールは勧められないという。
私自身の経験から
- 早く食べ過ぎて、食べた物、飲み込んだ物が鳩尾の辺りでつかえることのないようにする
- 食べ過ぎて食後間もなく起こる早期ダンピング症候群の機会を少なくする。
- 食後2、3時間後に起こる低血糖による後期ダンピング症候群は自ら察知し、防ぐ。小生の場合は目がチラチラして脱力感がある。対策として森永黒糖キャラメル、鹿児島のセイカ食品の南国特産ボンタンアメをポケットに入れて重宝している。
- 就寝中の逆流、誤嚥による肺炎を絶対に避ける。
- 体力を温存し、感染に対する抵抗力などを消耗しないこと。
- ゆっくりと、人と団欒しながら食べると良い。
- 寒川賢治博士が発見したグレリンというペプチドは、胃の粘膜細胞でつくられる栄養に関係するホルモンで、胃切除後の体力増強力もあることがわかってきている。
- 一番気にかかることは再発である。相談ができる主治医と連絡をとると良い。
アメリカでは、肥満者の治療の一つに胃の上部を閉じる、私が受けたのと似た手術がよく行われている。胃は残っているが食べた物は空腸に直接入る。この手術を受けた肥満者のほうが、平均寿命は高いそうだ。胃の手術を受けた人を励ます良いニュースだ。
失敗に学ぶ
術後30日目にフランクフルトソーセージを早めに食べたら、つかえたことがある。そもそもソーセージは均質なので、よく噛んで飲み込んでも、食道の中でまた塊になるのだろうか。つかえたときは、水やお茶を飲んでも、つかえた物の上に重なるだけで効果がないので、歩いたり、跳ねてみたり、肩こり用のバイブレターを背中に当ててみたりした。
一般的にいえば繊維や、膜状の物が残る物、均質過ぎてよく噛んでもまたくっついて塊になる物は要注意である。メロンは意外と繊維が多く、 西瓜は繊維が少ない。
なによりも重要なのは、食材よりも、よく噛んでゆっくり口に運ぶことである。術後4ヵ月たつと、そうめん、うどん、そばなどは、うっかりすると早めに食べてしまい、あとで苦労する。ほかによく水分をとることと、酸化マグネシウム(緩下剤)を朝夕に0・5gずつとっていると便秘などに悩まされずに済む。
以前、国立がんセンターにおられた多賀須幸男先生から「アルファ・クラブ」の情報紙を教えられた。患者間の悩み、良いまたは苦い経験談が掲載されている。どの患者さんにも、いろいろな苦労や心配があり、励まされた。
小生は退院以来、枕を重ねて頭部を高くして睡眠をとるようにしている。全摘なので噴門や幽門がなく、食道・空腸はのっぺらぼうな1本の管になったようになっている。うっかり頭を水平にしたり、下げたりして寝ると、気がつかぬ間に腸の内容物が喉の方に上がり、呼吸時に喉頭などに近づいてくる。
その一部がもし、気管に入ると、誤嚥性肺炎が起こる。そのために通信販売で三角形の背もたれのようなものを購入してベッドの上に設置した。硬い枕に柔らかい枕を重ね、枕が落ちないように背もたれの上にひもでぶら下げている(図1)。
私の一番の失敗に、術後2ヵ月たったときにかかった誤嚥性肺炎らしきものがある。39℃近くの熱が出て、再入院して水分補給の点滴と、細菌に対する抗生物質の投与で危機を脱した。
ダンピングへの取り組み
ゆっくり食事をするという大鉄則を忘れて、つい、うっかり女房と同じ速さになり、「早過ぎる」と注意をされることもある。つまり、女房の作った食事がうまいということで、うまいので早く食べたいのに。注意してゆっくり食べる人生もそう悪いものではない。いずれにせよ1回に食べられる量は少ないので、午前10時と午後3時に間食をとる。夕食も軽くして夕食後2時間後にクッキー、煎餅などを少々とると、早期および後期ダンピング症状は起こりにくい。
胃を全摘した人は、胃から分泌されるキャッスル因子がないため、この因子と結合して腸管より吸収されるビタミンB12が欠乏しやすい。B12の入ったビタミン剤やカロリーメイトなどをとることにしているが、不十分で、B12の皮下注射を受けたほうが良いと笹子先生にいわれる。
また、酸化ストレスを抑制して、体に良いといわれるDHA(ドコサヘキサエン酸)入りの牛乳や、腸内フローラ中に乳酸菌が増えたほうが良いといわれて、固形と飲むヨーグルトとっている。
胃の手術後、血圧は低めで定着している。少し高目だった糖尿病の指標となる血中のHbA1cも正常値になった。しかし、毎食後インスリンが過剰に生産されるということが、長期的に見て糖代謝、膵臓機能にどういう影響を及ぼすのか、まだ納得のいく勉強をしていない(図2)。
術後のそれぞれの時期で注意すべき重点事項も、人それぞれ、時とともに移ろっていくであろう。主治医と接触を保つことが勧められる。
終わりに
人間はいつ災難に遭うかわからない。がんになるのも災難のようなもので、交通事故に似ている。しかし、がんにはかなりはっきりした多数の原因がある。予防には、食べ物への注意、適度な運動などを行う日常生活の持続などが大切である。ただし、この予防も完全ではないので、無症状のうちにがんの存在を知る健診の科学を推進することが望ましい。
がんは遺伝子に変化を起こす要因の活性化の抑制、その要因の消滅などが、その予防につながる。複雑な理論、研究、実験を十分に咀嚼して作ったものが財団法人がん研究振興財団から『がんを防ぐための新12か条』として出版されている。がんの発生は時間をかけて1段階から進むから、その発症を遅らせることができる。
早期に診断されることは、完治の機会を高める。これは、私自身の経験から明らかである。信頼する医師を決め、症状があってもなくても定期的に診断を受け、必要ならさらに詳しく診察、検察を受けることが良い。
胃の手術といっても、部分切除、全摘などがある。最近は早期診断例が多く、内視鏡下に粘膜部分のがんをはがしとる内視鏡的粘膜下層剥離術で、かなり取り除けるようになりつつある。
今、医学の限界を知り、がん予防学、がん検診学(仮題)を学問として確立していく勇気が、がん問題の王道と思う。アルファ・クラブのみなさんの頑張りと胃がん撲滅の進歩を祈っている。(東京都武蔵野市)
参考/杉村隆著『自らがん患者となって』、杉村隆著『がんよ驕るなかれ』