冷え性も克服し、現在までの幸運に感謝

胃がんはオプションで発見

会社リタイア後は太極拳を指導
 私は今年の5月で胃がん手術後10年になります。がんの発見は60歳を迎えたときでした。現在まで普通の暮らしができ、術後の体調変化への対応に努めた以外に、がんを克服したといった感覚はありません。
 
 がん発見の数年前に健康診断で軽度の萎縮性胃炎が発見されたため、オプションで胃検査を受けていました。体には自信(過信)があり(健診の結果は、胃のほかはオールA)、会社勤めで夜の付き合いが多い職場で、私は大の酒好きでした。
 

年前の1月末の検査時、いつものように食欲もあり、自覚症状もありませんでしたが、毎年診てくださっていた医師が、「がんのような面(つら)をした5円玉大の腫瘍がある」と細胞検査をしました。結果は陰性でしたが、「近いうちに設備のある病院で精密検査を受けてください」といわれました。
 
 2ヵ月後、医師の勧めに従い、東京の旧社会保険中央総合病院(現東京山手メディカルセンター)で再検査の結果、胃がんと診断されました。腫瘍の表面は豹変しており、肉眼でも明らかにがんであるとわかりました。再検査を勧めてくれた医師の判断にたいへん感謝しております。
 
 連休明けに医師が推すその病院で治療方針を立てることにしました。検査時の病院の運営は合理的で信頼感を抱きました。「胃がんは早期なら切除で大丈夫」と漠然と思っていましたので、手術治療を受け入れて、2週間後にお願いしました。

会社復帰後は最寄り駅から送迎車で

 
は当時関連会社(非上場の倉庫会社)の役員をしていて、決算、取締役会、株主総会と日程が埋まっていましたが、周囲の了解を得て入院、手術に専念しました。切除範囲と再建法は主治医に一任しました。胃は全摘となり、ルーワイ法で再建しました。
 
 術後診断の結果は1ヵ所に未分化がんがあり、リンパ節などへの転移は皆無でしたが、浸潤は深く、漿膜(しょうまく)まで達していました。ステージⅠBと判定されましたが、もし、漿膜を突き破っていたら治療はずいぶん違ったと推測されます。
 
 術後の経過は順調で2週間ほどで退院しました。約1週間の自宅療養後に出勤しましたが、約半年間、会社の出退時間はラッシュを避け、最寄り駅から車で送迎してもらいました。
 
 術後は主治医と栄養士の指導のもと、消化の良いものを少しずつ食べるように心がけました
が、最初はバナナを半分食べるのにも30分以上かかり、大変でした。体重は2週間に1㎏のペースで落ち始め、5ヵ月後には、手術前の74㎏から61、62㎏になりましたが、その後9年間、この体重が自然と維持されています。
 
 魚は早いうちから食べられましたが、好物だった天ぷら、カツレツなどの揚げ物、豚肉は受けつけず、今でも苦手です。現在では野菜類は過熱したものをかなり食べます。また、特に毎日の排便に気をつけ、食べること以上に排泄を重視しています。お酒は自然と日本酒が中心になり、度数の高いウイスキーなどはやめました。

私の後遺症(おなら、貧血、逆流性食道炎、冷え性)

ならの問題は未だに解決できません。においも強烈ですが、家族は寛大で助かっています。しかし、外では大変です。電車の中で催すと、最初のうちは一駅降りていました。消化酵素薬も効果ありません。
 
 その他の対処方法では、アルファ・クラブの会報がたいへん役立っています。ビタミンB12吸収問題からくる貧血は、「ハンター舌炎」の記事から主治医に相談し、メチコバール(ビタミンB12製剤)を半年に1回注射してもらい、今は赤血球などの値は正常範囲の下限辺りを維持しています。
 
 逆流性食道炎は、食物の流れが良くないときの夜中に、平均すれば3日に1回ほど起こりますが、アルロイドG液(粘膜保護薬)で治まります。睡眠時の枕の角度は試行錯誤を繰り返し、現在のところに落ち着きました。
 
 一番困ったのは体の冷えの問題で、特に下肢の冷え性になったことです。好きだったゴルフも真冬はやめました。しかし、最近は足腰の筋トレや歩行の習慣化、入浴方法で改善してきています。

太極拳を指導

いへん役立っているのは30代半ばから始めた「楊名時(ようめいじ)八段錦・太極拳」です。この運動は足腰の鍛錬のほか、呼吸法を通じて自律神経系統の安定に著効を示すといわれています。休肝日と仕事の息抜きに始めたものでしたが、11年ほどで師範の免状をいただきました。
 
 その後、父の介護や仕事の関係で15年ほどブランクがありましたが、手術の1年前に再開しました。太極拳は、入院中から「点滴を片手」に戸外で行った結果、体力の回復に効果は抜群でした。現在も朝の歩行、筋トレと合わせて1時間ほど行うように心がけています。また、教室を一つ持ち、15名の方に週1回教えています。

ゴルフで上位入賞を夢想

年退職後は年1回ほど外国旅行を楽しみ、ゴルフもハンデキャップは9〜12に落ちましたが、来年からグランドシニア入りすることから、所属クラブで密かに上位入賞を夢見ています。
 
 このような生活ができるのも、がんを最初に発見してくれた医師、手術から経過観察を通じて適切な処置を続けてくれている主治医、丈夫な体を授けてくれた父母、日常の面倒を見てくれた妻や子供たちの支えがあってのことです。  この寄稿文を書きながら、現在までの幸運に感謝し、明日は不明と自戒して日々過ごさなければならない、と気持ちを新たにしています。

(東京都杉並区)