薬剤師をしながら仲間の会を呼びかける

桃の節句の吐血

泣いて笑って支え合う

私は、2007年3月3日の早朝、吐血と黒い下血があり、救急車で日田市内(大分県)の病院へ搬送されました。胃カメラ検査の結果、胃癌を告知されました。そのとき私は「がんがらがんですね!」と、びっくりしたけど負けないの意を込めて冗談をいったことを記憶しています。胃癌のできていた部位の潰瘍からの出血がなかなか止まらず、やっと止まった2週間後に生検を行い、「印環細胞癌」との診断が確定しました。その後、担当医から「胃を全摘私はします」といわれましたが、何とか全摘だけは避けたいとの思いが強くありました。

主治医に教えていただいた『胃がん治療ガイドライン』(医師向けと一般向け)を読んだり、インターネットで、腹腔鏡下手術のことなど、いろいろな情報を集めました。そして、インターネットで、大分大学医学部第一外科教授の北野正剛先生(現在、大分大学学長)のサイトにヒット、胃癌の情報を得ました。また、読売新聞の『病院の実力』を読んだりしました。

腹腔鏡下で3分の2を切除

分転換に病院から外泊許可をもらい、弟に自宅から高速で1時間くらいの距離の大分大学医学部を見学に連れて行ってもらいました。4月9日、前述の主治医の先生から紹介状をもらい、大分大学医学部附属病院第一外科にて腹腔鏡下で胃幽門側の3分の2を切除しました。また、第1リンパ節に転移があったので、第2リンパ節まで郭清しました。その後、最初に入院した日田市の病院に戻るために積極的にリハビリを行いました。その病院に戻ってからは、薬剤師の仕事に一日でも早く復帰したく、さらにリハビリに専念しました。しかし、職場に復帰した後は気持ちだけが先行して体がついていけず、入退院を繰り返していました。

体力が回復せず定年前に退職

の年の暮れに再々入院となり、正月明けに退院。勤務先の病院長を始め、皆さんのアドバイスもあり、2月末まで自宅で療養しました。3月からは半日勤務を、4月からフルタイムで復帰をしました。勤務先の院長の理解もあり、2週間に1回の午前中に日田市のかかりつけ医への受診を続けることができ、勤務先の病院では昼食と午前10時と午後3時の間食も準備してくれました。

自分としては、仕事も一生懸命、頑張りましたが、体力が十分回復せず、定年まで1年を残した、その翌年の3月末に退職しました。開業以来27年間勤務した、アルコール依存症を治療するこの病院の皆さんには、迷惑をかけてしまいました。

今、振り返りますと無理をしていたのだと思います。私はアルコール依存症の知識が全くなかったのですが、この病院で患者さん方のセルフヘルプグループ(自助グループ)に参加し続け、この病気の勉強も熱心に行ってきました。しかし、体力の限界を感じての退職でした。

この年の4月1日からは、市内の調剤薬局の管理薬剤師として働き始めました。勤務先のオーナーは、私が胃切除者で、治療も継続していることを了承のうえ、契約をしてくれました。新しい職場では、周りのスタッフにも私の事情を理解をしてもらい、月に1回の診察日は、午後から仕事をしています。

繰り返したくない腸閉塞の痛み

は前後しますが、前職を辞めた2009年の10月16日、第2回リレーフォーライフ大分(がん患者チャリティーイベント)開催日の前夜、自宅でおなかが引きつるように痛くなり、妻に、いつも通院している日田市の病院に連れて行ってもらい、そのまま入院しました。

腸閉塞でした。翌日も症状は治まらず、引きつりが増し、黄だんも出てきたので、胃癌の手術をした大分大学医学部附属病院に、救急車で搬送されました。病院に着いたときには、すでに連絡を受けていた妻と次男が到着していました。妻の話では、救急車で運び込まれたときの私は、ストレッチャーの上で、おなかの引きつる部分にこぶしを押し当てて、うずくまっていたそうです。

直ちに開腹手術となり、絡んでいた腸を引っ張り出し、元に戻したそうです。麻酔から覚めると、執刀医の先生から「胃癌の転移がなかったことで良しとしてくれませんか」と話がありました。私は「あのなんともいい表せない痛みから解放されただけで十分です」と返事をしたことを覚えています。

自宅でも職場でも、食事には十分に時間をかけて、何度も噛んでいます。食後、どうしても、おなかの調子が悪いときには、指をのどの奥に入れて食べた物を戻しています。また、特に職場で昼食を食べた後に心配なときには、漢方薬の大建中湯2包と胃粘膜保護薬のマーズレンS顆粒1包を服用しています。2度と腸閉塞のあの痛みを繰り返したくはありません。

交流会を開き、仲間の輪

年の4月7日の土曜日に、4年前に私が呼びかけた『希望の会』(大分県胃がん患者交流会)の花見会を三日月の滝温泉(大分県)で行いました。ライトアップされた桜は見事でした。6組の夫婦12名が参加、自己紹介をして、和やかな3時間があっという間に過ぎてしまいました。

現在、会員には複数の癌を持つ方が何人もおられ、そんなところから、会員からの提案で『希望の会』の副題から胃を外し「大分県がん患者交流会」にしました。また、公的な援助を受けている「身体障害者」と同じく、胃切除者も同様な援助を受けられないだろうかとの声が上がり、皆が賛成しました。

最後に大分県内の各保健所に胃癌患者の会を作ろうと呼びかけました。今夏は皆で、スイカを栽培している会員宅を訪ねる予定で今から楽しみです。『希望の会』のスローガンは「泣いて笑って支え合って」です。自分の体験から患者さんと家族の苦悩が痛いほどわかるので、専門家に講演をしてもらうなどして患者同士の励ましの場になればと思っています。また、会員の声を社会にも伝えたいと思います。看護師の妻にも助けてもらい感謝しています。