【風に詠う】決めぜりふ その1

外科医 住永佳久(さいたま市・共済病院顧問)

「教養とは何ぞや」と問われたことがある。学生時代なら「学歴を重ねた物知り」と答えていただろう。おおよそは博識であることだと思っていた。読書家でいろいろなことを知っていることだと。ところが、社会人として組織の中堅どころに位置したときに、教養とは「誰とでも食事を楽しむことが出来ること」と教えてくれた上司がいた。「教養」を画一的に定義できるとは思っていないが、より包括的に表現できる言葉に出会ったと感じた。 

その意味するところは、「相手に不快を与えることなく、気張らずにひと時を楽しく過ごせる“ゆとり"を持てること」だ。例え相手が初対面の首相であろうとも…。賛同者を確認しようとして、この定義を何人かに聞かせたが、反応はいまひとつであった。物事の本質を捉えて泰然自若とした風格を感じさせる人物という意味だとすると、周囲に見当たらない歴史上(想像上と同義語?)の人物であり、実感が湧かないからだろうか?

その後10年程経て、教養とは「己のとは異なる、他者の価値観を認める度量」だという言葉に出会った。爾来(じらい)、私とは大きく異なる価値観を持つ他者と対峙(たいじ)する度に、その人を認め、かつ受け入れようと努力することを自らに求めてきた。ただ、異なる価値観を認めるとはその価値観を持つ全ての「他者を許せること」を意味する。「博識な人」にはその人間性にまで触れていない。

一方、「教養のある人」という言葉はその道徳性にも及んでいる。「博識な人」は、その知識量の多さが尊敬に値する。「教養のある人」は、その人間性が尊敬に値するということだ。なら、どうであろうか。今思うに、私にはまだまだ(未来永劫?)教養が備わっていないということを自覚するに至っている。

「芸術とは何ぞや」と自問したことがある。きっかけは自宅の壁に絵画を飾ろうとしたときだった。時の上司に聞いてみた。芸術の領域には、音楽・文学・演劇・美術があると学んでいたが、私にとって芸術を最も意識できるのは美術であり、そのジャンルである建築・彫刻・絵画の中でも、絵画を芸術の典型と感じていた。上司の答えは意外だった。「えっ、絵画にわかる、わからないがあるのかなぁ」と。彼は映像美の一つとして絵画を捉え、その芸術性の評価を求められたと考えたのかも知れない。確かに芸術は、表現者、あるいは表現物が鑑賞者にどのような影響を与え、鑑賞者の感想・評価が表現者、あるいは表現物にどのように反響していくかというふうに相互に作用し合うことで精神的・感覚的な変動を得ようとする活動(爆発というイメージは感じない)とも定義されている。「芸術は、芸術家によってよりは解説者によって作られるもの」や「すべてではないが、往々にして、自ら芸術家と称している人以外には、まったく理解しがたいことのおおいもの」という皮肉が込められた箴言(しんげん)もあるが…。

だが、要するにある絵画に対する評価は単に「好きか好きでないか(嫌いではなくて)」ではないのだろうか。さて芸術としての絵画であるが、気になるのは本物かどうかとその価値(価格で評価する)だ。希少性という意味では、コピーあるいは贋作(がんさく)の存在は不快であり、本物であってほしいが、眺めて気に入れば良いと考えるなら、コピーあるいは贋作でもいいのではないかとも思う。また、価格は手に入れようとする人の懐(ふところ)具合で決まると思っている。財布と折り合いがつかなければ、結局手に入れるのを諦めればいいのだから。さて、自宅の壁の絵画である。「どんな絵画を購入しようかな」と。その答えは、「ある金額以下で購入出来て、毎日目にしても嫌でない(飽きない)絵画であること」とした。私の場合は10万円以下と決めた。これ以上だと日々の住まいから追放の刑を受けてしまう気配を感じたからだ。 
 
〔追記〕キオスクで【死ぬまでにこの目で見たい 西洋絵画100】(BRUTUS(ブルータス) 2017年 6/15号)が目に留まり、Amazonで購入した。絵画有識者が世界各地の著名美術館と代表的絵画を選定している。幸運にも幾つかの絵画(本物)は見たことがあった。だが、わが郷土徳島県の鳴門にある大塚美術館を知っているだろうか。世界25ヵ国・190余の美術館が所蔵する西洋名画1,000余点を写真撮影し、陶器の板に原寸で焼き付けたものを展示している。それも本物が展示されている部屋までそっくりに造設してオリジナルの収集に拘るのではなく、莫大な(さすが大企業の大塚グループ)著作権料を投入し、複製、展示するという構想は、企業の文化事業としての私立美術館の中でも非常に特異な試みなのだろう。美術教育に資するべく、作品は古代から現代に至るまで極めて著名、重要なものばかりを展示しており、「これらを原寸で鑑賞することでその良さを理解し、将来実物を現地で鑑賞して欲しい、との願いが込められている」と解説されている。陶板複製画(特許のようだ)は原画と違い、風水害や火災などの災害や光による色彩の退行に非常に強く、約2,000年以上にわたってそのままの色と形で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献すると期待されている。

システィーナ・ホール、スクロヴェーニ礼拝堂、聖テオドール聖堂などは本物と同じ規模で。フェルメール、ヴィーナスの誕生、エル・グレコ、モネの大睡蓮、レンブラント「夜警」、ダ・ヴィンチ「モナリザ」「最後の晩餐」、ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」、ゴッホ「ひまわり」、エドヴァルド・ムンク「叫び」、ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」、ジャン=フランソワ・ミレー「落穂拾い」、パブロ・ピカソ「ゲルニカ」等々。「すごい! たいしたもんだ」