【風に詠う⑰】 教育

外科医 住永佳久(さいたま市・共済病院顧問)

「 教えられた時には充分に納得できず、自ら苦い経験を積み重ねて辿りついた先にはやはり先人の教えがあった 」とは古くから賢者の回顧録によくあるが、[現実を知り素直になれたときの誠の言葉]だと思う。自らの経験を伴わない叡智は実感されないというのは人間の性だろう。このように「経験から得た知恵を次者に伝え直ぐに納得を得させることは難しい」ということにやっと気がついた。最近になって恩師の言葉を「なるほどなぁ、そういうことだったのか」と思い出し、かつ納得することが多くなった。艱難辛苦を経験(?)し、当時の恩師の歳を越えてやっと達した境地なのだろう。例えばそれは、こんなことだった。

スタッフとして所属した初めての大きな組織が、創設されたばかりの自治医科大学附属さいたま(旧大宮)医療センターだった。この頃に副センター長であった柏井先生からは、「各人がいろんな意見を持ち、かつ自由に発言できる組織であればこそ、健全であり発展して行くのだ」と教わった。このときには、「それではなかなか意見がまとまらないのでは?」と反論したように覚えている。

医局長として外科医局をまとめる責務のあった私には、ある意味で多少、拙速気味であったとしても、医局員の利益になると私が判断(独断)した方向に医局員を説得して向かわせようとする傾向があった。新しい組織の中でいろいろと決めていくべきことが多く、そして臨床の場では常に迅速な決断が求められるものだと考えていた青年外科医(その頃は!)には、長時間の議論は苦痛だったことを思い出す。価値観の多様性(これを認められることが教養だとも今は理解している)こそ組織に必要とされるものだとの認識は、この頃まだ私には芽生えていなかったのだ。

近頃、いろいろな委員会に顔を出しているが、議論の沸騰することがほとんどない。穏便に、あるいは大人しく閉会を迎えている。決済を迫るような事案が少ないのかもしれないが、そこには全員一致を求める雰囲気があるのではないか。こんな雰囲気が漂う会議では、あえて反対意見を唱える勇気を求めるのは困難である。考えてみれば、全員一致するような事案は、そもそも決済を必要としない報告事案であろう。

会議は報告以外に大切なことがある。提起された事案に対してメンバー各自の経験や見識から発生するさまざまな意見を引き出し、これらをもとにして決済のために幾つかの選択肢を編成することである。重要な事案こそ決済することが困難な事案であり、二者択一の賛否は55対45程の僅差で採択されるのが普通ではなかろうか。そしてどの選択肢が果たして正しいかは永遠(?)に解らないことが多いのだ。

すなわち後になって見直せば、決済の評価が変わる可能性は結構高いものだ。だからこそ「各人がいろんな意見を持ち、かつ自由に発言できる組織であれば健全である」といえるのだ。ただし、「そのためには守るべきことがある。いろんな意見が出尽くすまでは決済権者は意見をいわない(自分の方向性を示すことで、無意識であっても賛否を誘導するようなことがあってはならない)ことと、組織の人間は、例え反対意見を強く持っていたとしても決済がなされたことには黙って従うことが必須である」とも、柏井先生から念を押して教えられた。

この恩師がまだ40歳を過ぎたばかりで新進気鋭の外科助教授であった頃に、外科系ゼミナールの指導教官として教えを受けた。若い教官が生意気(食い気)盛りの学生と交われば、ずいぶんと迷惑を被ったのではないか。その当時「教育とは飯を食わせることだ!」といって、栃木から東京まで「駒形どぜう」や神田「いせ源のあんこう鍋」を食べに連れて行ってくださったことは、教わった他のことすべてを忘れた今でも鮮明に覚えている。その後、同じ立場を経験した私も、「教育とは飯を食わせることだ!」なるものを実践してきたつもりであるが、その効果があったかどうかは確認していない。