我が人生の師、胃癌殿との出合い
人事コンサルタントの煩悶と決断
居酒屋で吐血
今もはっきりと記憶している。2010年8月のお盆、居酒屋で友人と酒を酌み交わしていた最中に貧血に襲われ、2度の吐血をした。便器にたまった鮮血を見たとたん、腰が抜けたように座り込んでしまった。その後、症状が少し落ち着いたので、友人の勧めで近くの夜間診療をしている病院に駆け込んだ。問診と血液検査の結果、マロリーワイス症候群という診断であった。医師の説明では、この症状は酒飲みに多く、嘔吐をしたことで腹圧が上がり、食道と胃の接合部付近の粘膜に亀裂が起こり、出血したのだという。
私の家系は代々、酒豪の血を受け継いでおり、これも酒飲みの勲章だと、そのときは気楽に受け流した。だが、後から思うに、実は私の家は癌家系でもあったのだ。後日、医師からは内視鏡検査を勧められたが、症状が軽くなったのと、病院が自宅から遠距離なこともあり、お断りし、タクシーで帰宅した。
しかし、数日たっても体調は改善せず、家族の強い勧めで地元の消化器系のクリニックで診察を受けた。前回の病院でマロリーワイス症候群と診断されたことを伝えたが、消化器専門医の経験と勘なのか、半強制的に内視鏡検査を受けさせられた。10分後、診察室に呼ばれ、検査結果を聞いた。医師は何の躊躇いもなく、腕を組み、うなって一言、「成島さんの胃にタチの悪い顔つきの奴がいたよ」と、患部の写真を指して親身に説明をしてくれた。私は、「やはり胃癌ですか?」と、意外にも冷静に反応していた。これが、胃癌殿との出合いの瞬間だった。
早速、紹介状を書いていただき、地元の市立病院で精密検査を受けた。結果は疑う余地もなく胃癌で、それも一部に低分化型細胞が混じった中分化型の早期胃癌だった。そこで初めて「タチの悪い顔つき」の意味を理解したとともに、悪性度の若干高い胃癌であることに少しショックを覚えた。ただ、幸か不幸か、胃は全摘になるが、体の負担が少なく術後の痛みが軽い腹腔鏡手術が可能だったことはありがたかった。
運命・天寿を感じる
医師は、セカンドオピニオンも勧めてくれたが、そのときの医師の冷静かつ患者に対する一生懸命な姿勢に惹かれ、手術を即決した。「先生、これも運命ですよね。だめだったら、それは私の寿命ってことですね」。医師も私の言葉に対し、「これも何かの縁です。私を信頼して任せてください。全力を尽くします」と、笑顔で返してくれた。このときの主治医との会話は落ち込んだ私を冷静にさせ、力づけ、これからの人生を考えるうえで貴重な会話となった。
話は変わるが、父親側の親族のほぼ全員が癌である。その父も13年前に手術不可能な末期の食道癌で他界した。父は、癌の宣告を受けたその日に、菩提寺の住職に自らの戒名をお願いし、終末に近づくと自らの葬儀内容も決める胆が据わった男だった。死に直面しても周囲に気を遣いながら人生の幕を下ろした父を、男として今も尊敬している。
私は、主治医との会話に「運命・天寿」というものを感じ、父の生き方を思い出し、父に恥じない生き方をしようと強く思った。
忘れられない看護学校研修生
9時間にわたる腹腔鏡手術により胃全摘とリンパ節郭清を施し、ルーワイ法で再建した。病理検査の結果はステージⅠBで若干、固有筋層に顔を出した早期の胃癌だった。入院期間は12日で、思い出すのは主治医を始め、看護師、レジデント(研修医)などのスタッフに恵まれたことである。特に、私の娘と同年代の看護学校の研修生が退院までの間、私の世話を親身にしてくれたことは忘れられない。退院日に彼女は手作りの『手術後の生活ガイド―食事・運動・ダンピング等後遺症について』を作ってくれて、退院時もわざわざ病院の玄関まで見送ってくれた。
涙があふれそうなほど感謝の気持ちでいっぱいになった。人は、生きているのではない、生かされているのだと、実感した日だった。退院後は1ヵ月ほど自宅で静養し、自営のコンサルタント業に復帰したが、数日後、昼食を食べた後に腸が引きつるような痛みに悶え、再び入院してしまった。検査結果では腸の一部に炎症があり、イレウスの前兆だったようだ。6日間は絶食して点滴で過ごし、12日目に退院した。
サラリーマン生活が長く、早食いが癖になっていたようだ。今でも毎日のように食べ物がつかえては苦しみ、後期ダンピングのめまいや、朝方の逆流性食道炎に悩まされている。しかし、人間慣れるもので、つかえれば吐き、めまいがすればアメをなめ、逆流が起これば牛乳を飲むと楽になる。そんなふうに後遺症とはうまくつき合っている。
社会貢献の足跡を残す
術前88㎏あった体重は、術後1年足らずでみるみる減り、今や58㎏になった。現在は、その体重を酒と肴のカロリーで維持している。不思議なことにふつうの食事では食べ物がつかえて苦しむのだが、酒を口にすると問題なく、食道から腸に下りていく。気がつくと4合は飲み干している。この状況を主治医に説明すると、主治医は、ただただ笑っている。
また、悪いことばかりではない。スリムになったおかげで風貌も渋くなり、今では、ちょいワル風のオヤジで仕事に励んでいる。私は大企業の仕事の仕方に疑問を抱いて退職。その後、フリーランスで人事コンサルタントをしていたが、正直、夢も希望もない濡落葉のような生き方だった。胃癌宣告は、その最中に起こった人生最大のターニングポイントで、その後の人生を真剣に考えさせてくれた。
出した結論は、「社会に貢献した足跡を残す」ことだった。まずは、フリーランスという甘い立場を捨て、昨年3月に中小企業の人事を支援する『一般社団法人人事部サポートネット』という法人を設立した。企業の社員研修、人材採用に少しでも貢献し、日本経済を支えている中小企業を元気にしたい。まだ顧客は数社で吹けば飛ぶような事業だが、顧客の社員や経営者に喜んでもらえるだけで、50歳を過ぎた今、人生の生きがいを感じている。
最後に、私を支えてくれた家族、友人、医師、看護師に感謝を申しあげたい。