術後も山にチャレンジ

山に行きたい一心で体力回復に邁進

悪性腫瘍の細胞が発見される

術後も山にチャレンジ

2009年8月後半に中国四川省にある6179mの山の学生登山隊に医療班として参加した。出国から帰国まで9日間の速攻登山だったが、首尾良く登頂でき、上機嫌で帰国した。しかし、帰国の6日後から黒色便があり、8日後の朝にはめまいがして起き上がれなかった。黒色便は翌日には改善したが、血液検査の結果ではHb(ヘモグロビン)濃度が7・4と貧血を起こしていた。消化器外科の友人から、「高所性の消化管障害による出血に間違いないが、下山後に生じるのは珍しい」といわれた。

出血部位を確認しようと1週間後に生まれて初めて胃の内視鏡検査を受けた。検査のことを忘れかけていた1週間後、勤務している歯科大学の麻酔科に電話があった。「念のために採取した標本から悪性腫瘍の細胞が発見された」とのことだった。組織検査の結果を問い返すと、印環細胞が見られるという。一撃必殺、晴天の霹靂で頭の中が真っ白になったが、その直後、3時間の講義をなんとかこなした。6、7年前から数年間、職場で精神的ストレスの大きい生活をしたことが原因かと思った。

10月22日、母校の東京医科歯科大学で小嶋一幸医師執刀により腹腔鏡下で胃幽門側5分の4を切除し、ルーワイ法による再建術を受けた。小嶋医師は腹腔鏡下の手術の名手として高名であり、たまたま手術していただけたことは幸運だった。手術は4時間で終わり、「想定外のことは何も起こらなかった」といわれた。患者として、入院生活、全身麻酔、術後痛のコントロールなどを体験でき、興味深かった。転移はなく抗癌剤は服用しないですんだ。

術後6日目に退院し、11日後から大学に復帰した。数名にしか手術のことを知らせず、業務も通常通り行った。通勤は片道1時間半かかるので、最初の3週間は始発電車に乗れる駅まで家族に車で送ってもらった。通勤途上に気分が悪くなるとか、下痢をもよおすといったことはほとんどなかった。

登山の趣味は健康に最適

胃癌とわかったときに最初に心配したことは、1年8ヵ月後に予定されていた日本登山医学会の学術集会の会長職が全うできるかということだった。幸い、早期癌とわかり、これはなんとかクリアできるだろうと考えた。

その次に心配したことは、趣味である山スキーのシーズンに間に合うかということだった。そのために体力の回復を図る必要があった。12月初め、術後43日目にスポーツジム通いを再開し、軽いジョギングやヨガを始めた。1月後半に高尾山にハイキングに行くことができた。

2月11日には森林公園マラソンで5㎞を走り、ついに2月18日には上越に山スキーに行った。陽が燦燦とさし、光踊る美しい日で、霧氷がきらめき、山のパノラマが白く輝いていた。私は冬スキーに間に合った幸せを実感した。

その後、山スキーを東北や北アルプスで行い、ゴールデンウイークには雪洞泊も含む3泊で磐梯朝日国立公園に位置する飯豊山縦走をした。夏には上越から上州へ、山中3泊の沢歩きもした。このように体力は術前に戻った。山に行くには体調管理をし、体調を整えることが必要である。そういう意味からも登山はとても健康に良い趣味と思う。

日本登山医学会で会長講演を

日本登山医学会は2011年6月に500名近い参加者を得て、無事に実施することができた。会長講演で王監督と同じ手術を受けたことに触れると、驚異的回復力といわれた。その翌日から沖縄に1週間の出張があった。波間にかいま見えた伊平屋島に一目ぼれした。インターネットで10月の満月の晩にマラソンレースがあることがわかった。ハーフとフルマラソンしかないが、私は10㎞レースに2回出たことがあるだけだった。

なんとかなるだろうとハーフをエントリーした。十分な練習ができなかったが完走できた。次はフルマラソンへと欲が出てきた。体重は術前48㎏で、術後2ヵ月が43㎏弱、今は46㎏前後。血液検査ではHb濃度が12弱と軽い貧血であるが、術前と大差はない。コレステロール値が下がり、これは余得か。

30歳代の回復力

2年目の定期検査で「30歳代の回復力」といわれた。ちなみに、20歳代はデータがなくてわからないそうだ。自分でも胃の手術を受けたことを普段は忘れている。食べる量は以前の9割程度であるが、特に食べられない物はなく、不足分は間食で補っている。
食べるのが若干遅くなったが、これは良いことと思っている。便通はむしろ術前より順調である。ただし、以前から下痢しやすかったが、早食い、大食い、脂っこい物の摂取で下痢をすることがあり、この3つに注意している。
また、早食いをすると胃の入り口が詰まるように感じることがあり、そういうときには少し休んでゲップで排気すると再開通する。退職後はスキューバダイビングやカヌーもしたいと夢をふくらませている。