術後はICUで10日間苦闘
手術前の生活にどれだけ戻れるか
ダ・ヴィンチで胃の手術
世に胃がんを患い、手術を受ける人は多い。私もその例に違わず、2014年9月に胃がんが見つかり翌月に手術を受けた。
64歳まで化学工業関連の業務に従事し、退職後4年間、自由な時間を満喫していたが、胃がん発見はそれまでの日常を突然に中断させる出来事であった。
私の父方は胃がん家系である。祖父母、父のいずれも胃がんで亡くしている。私はその遺伝子の半分を受け継いでいるので、50歳頃から年に1回の胃カメラ検診を欠かしていなかった。
昨秋、いつものクリニックで検診を受けた。カメラが挿入され、私もモニター画面を覗くと、カメラが胃の深部に届いたとき、私は「ハッ」と思った。先生も「ありますね」という。幽門部近くに3㎝くらいの異様な色の皮膚層が見つかった。あっけない瞬間であった。生検の結果、胃がんと確定し、告知を受けると、多くは「なんで?」とその受け止めに逡巡するという。私は「落胆」というより「勿怪の幸い」と考えるようにした。長年の覚悟とはいえ、「やっぱり来たか!」。
10月初旬に大学病院に入院。執刀医から腹腔内手術の支援ロボット(ダ・ヴィンチ)の説明があった。手術による創が小さく術後は早く回復するという。10月6日、手術の日は台風で外は嵐だった。ダ・ヴィンチの操作機は手術台から少し離れたところにあり、手術室の上部は手術を実見する医学生のための窓があった。手術台に上がり、「大きく息を吸い込んで…」という麻酔医の言葉を最後に、私の記憶はそこで静かに途切れている。
手術を終え、私は回復室に運ばれた。家内と妹の声で目覚めた。しっかり熟睡したという不思議な感覚であった。手術は9時間に及んだ。腹部の皮下脂肪が厚く、胃への到達に時間を要したそうだ。なにせ長年の脂肪腹である。胃は上部を残し、3分の2を切除した。
鳴り続けるアラーム
翌朝、歩行訓練の後、4人部屋に戻る予定であった。しかし、ここから先、さまざまな難渋が待ち受けていた。最初の変調は、異常な喉の渇きであった。看護師さんには何度もうがいを懇願し、口を湿した。やがて、体の異常でアラーム音が鳴り始めた。異常な血圧(230/130㎜Hg)、血中酸素濃度80%前後、脈拍120回/分程度で、心臓は短距離競走直後のように激しく鼓動を打った。呼吸は浅く、普段の倍ほどの呼吸回数であった。
看護師さんに「お願いだから、アラームを切って」と頼むが「病院看護上のルールで切れません」との説明。結局、アラームは一晩中鳴り続け、一睡もできなかった。深夜に口と鼻を覆う酸素マスクに取り替えられ、酸素圧は高く設定されたが、私には快方に向かう気配はなかった。
翌朝もこの状況は変わらず、要監視患者としてICU(集中治療室)送りになった。エコー、心電図、CT、X線などで検査し、心臓に異変はないが肺は下部が圧迫され、ほとんど機能しておらず、腸にはガスが充満し、全く動いていないと判明。ICUに移されてから、さらに2日間、血圧、血中酸素濃度、脈拍、呼吸数は異常域でアラーム音は鳴り続けた。飲水は許されず一睡もできない3日3晩であった。
偽膜性大腸炎ってなんだ?
先生から、腸を動かすために歩く指導が何度もあったがとても歩けなかった。4日目からは血圧、脈が徐々に落ち着き始めたが腸が動かない、ガスが出ない状態が続き、水は飲めない。何としても腸を動かし、ガスを出し、深呼吸のできる肺を取り戻す必要があった。
究極のトライアルとして、筒先40㎝程の大型の浣腸(業務用!)が腸の奥深くに挿入され、牛乳瓶ほどの多量の浣腸液が注入された。しばらくして腸は動き出し、トイレも間に合わず、ベッドの上でガスと溜った消化液が噴出した。何とか通じた!腸は苦闘したが、胃の手術創は2㎝と小さく、痛みはなかった。「もう少しガスが出たら水はOK」の許しは術後5日目に出た。
腸が動き出し、ガスと腸内老廃物が盛んに排出されたが、下痢は止まらず、整腸剤は効かず、腸が制御不能になった。便検査の結果、「偽膜性大腸炎であろう」と診断された。手術中、感染症予防のために各種抗生物質を用いるが、私の場合、腸内のほとんどの菌が死滅し、大腸炎を起こすある種の菌が残ったらしい。この菌の毒素で腸粘膜が傷付き、その運動性が強く阻止されたらしい。
厚労省から『重篤副作用疾患別対応マニュアル・偽膜性大腸炎』という情報発信がある。時にはこの副作用は発見が遅れ、重篤化することがあると注意喚起されている。ただし、発生は稀らしい。厳しい体験であった。私は危なかったのだろうか?
時を慈しみ趣味を楽しみたい
徐々に下痢は治まり、術後11日目にICUを出た。さらに1週間を一般病棟で過ごし、21日目に退院となった。この間、主治医の先生方、病院スタッフの懸命の対応には頭が下がった。皆さんに不安になりがちな気持ちを支えていただいた。
やっと自宅に戻った。老愛犬パルとは3週間ぶりの対面である。慣れない留守番で寂しい思いをさせた。庭を駆け、彼女は私に飛びついて来た。
こわごわ自宅での食事が始まった。しかし、食べたものはおなかに収まった。ただ、1日の食事量は健常時の半分以下で、食事は30分以上をかけて、30回は噛む食作法に激変した。今回の入院では正直、自分の体がどこに向かうのか不安なときがあり、少し「死」を意識したが幸いにも戻って来た。
これから先、「時間」を慈しんでていねいに生きたい。これまでいろいろな音楽を聴いてきたし、仲間と山小舎建設に興じた。リタイア後には海外の知人を訪ね、旅行を楽しんだ。今夏はドイツにオペラ鑑賞に行き、ジムで有酸素運動も再開した。これから先の生活も、病気前と同様でありたい(手術前後の詳細、音楽、山小舎、海外旅行はホームページに掲載しています)。
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