大腸がん、胃がん、肺がんを克服
ここまで生きてこれたのはラッキー、皆に感謝
大腸がん手術5年後に胃がん
流通業の情報処理業務に携わっていた63歳の2003年の春のことでした。会社の健康診断で便潜血反応が出て、地元の病院でS状結腸にがんが見つかりました。CT、MRI検査の結果、手術前に医師から、「胆のうに痛みが出ることもあるので、胆のうも切除したほうが良いでしょう」といわれ、切除しました。同時に盲腸も切除したとのことでした。
5年後、がんの卒業試験(検査)で、胃の上部に再びがんが見つかりました。私には心臓の不整脈があったため、医師から心臓医のいる東京・新宿区の病院を勧められました。紹介されたその病院で胃の全摘手術を受け、ルーワイ法での再建となりました。
手術後間もなく腸閉塞になり、イレウス管を装着しましたが回復せず、再び手術となりました。閉塞部位は2ヵ所で、誤嚥性肺炎にもなり、気力はすっかりなえてしまいました。見舞いに来た友人のひとりにあとから聞くと、「もうだめかも」と思ったそうです。腸閉塞の手術前には「一杯の水が飲めるだけでも幸せ」と思ったものでした。
退院後は食物のつかえやひどい便秘があり、腸閉塞も繰り返しました。人前でおならができず具合が悪くなることもありましたが、放屁するたびに楽になりました。ただし、まれに腸の調子が悪いときの自分のおならのにおいには閉口しました。大げさではなく、気絶しそうなくささでした。
肺がんになり、つらい坂道
胃の全摘後10年近くたった今でも、うっかりすると食べた物がつかえて、食事をしばらく中断することもあります。術前63㎏あった体重は48㎏になってしまいました。以前はいつも高血圧気味で、最高値が130以上ありましたが、現在は100前後に下がり、胃全摘後、唯一のメリットとなっています。
健康食品も種々試してみましたが長続きせず、今はカロリーメイトだけで、胃のない者の栄養補助になれば、というくらいの気持ちです。試した物の中には、自宅裏庭にあった梅の老木に生えていた霊芝らしきものがあり、妻が煎じてくれましたが、飲んではみたものの効果の評価方法がなく、成果は不明です。
妻は私の体を慮り、わらにもすがる思いだったと思います。私はいまだにあれが霊芝だったか否かわかりません。毒だか薬だかわからないものを頼りにするのが、病気弱者の本音なのかもしれません。私は、今、まだ生きているので多分、毒ではなかったのだと思っています。
2010年には消化器の先生に肺がんらしきものを見つけていただき、呼吸器外科で肺がんの手術を受けました。術後は、坂道のある散歩コースの散策が急激につらくなってきました。今でも坂道の散歩はつらいのでペースを落として歩いています。右肺の上葉部を切除しただけで、このような状態になるとは予測できませんでした。
制がん剤もしばらくの間、飲みましたが、食欲がなくなり、体調が悪くなったので先生と相談し、飲むのを中止しました。食事でつかえやすいのがリンゴとめん類でした。リンゴを食べてつかえるとは聞いたことがなかったのですが、それでもリンゴはうまいので食べました。めん類も時々食べています。現在は何の食事制限もありません。アルコールは昔に比べて量は少なくなりましたが、清酒、ビール、ウイスキー、ワインなど何でも嗜んでいます。
49歳から始めたテニスも、愛好会に所属し、練習に参加させてもらっています。皆さん、とても性格の良い方が多く、ドロップショットでかわいがってくれます。暑いときは、テニスは控えています。
2年がかりの模型蒸気機関車
一昨年1月から始めた金属モデル(C57蒸気機関車)の組み立ては2年がかりで完成し、これを見ながらのアルコールの一杯も悪くありません。機関車の構造の理解ととともに、機関車にかかわった大勢の方々の苦労も知り、ますます興味がわいてきました。本当に昔の人は、「機関車なるもの」をよく造ったものだと感心しています。
模型の製作中は老化との格闘で、ナットやネジをポロポロと落としてしまいます。へそ曲がりの私は模型図と同じものではおもしろくないので、勝手に変更したりしているところもあります。
この模型機関車は、モーターを取り付けると動きます。取り付け前に孫娘がゴロゴロ動かすと、ナットなどが落下したりしましたが、接着剤で補修し、モーター取り付け後は一発で動くようになり、これも孫のおかげ?と感謝しています。
昔、蒸気機関車に乗っていたとき、私が目に入った煤で痛がっていたら、父親が目からごみを取り除いてくれたことを思い出しました。蒸気機関車がトンネルに入ると煙で鼻の穴が黒くなったり、せきをしたりで、大変だったものです。
私は、現在、大腸の手術前から罹っている脊柱管狭窄症や不整脈も小康状態なので、今のうちに各地の蒸気機関車を見に行きたいと思っています。
これまで生きてきたのが不思議
海外旅行では、一昨年はグアムにも行きました。現地で自分の生理現象(便秘やおならなど)が気にならなかったのがうれしかったです。グアムでは大戦の跡が各所に見られ、当時の若い人たちの悲劇の跡を目にしました。これからも機会を見つけて海外に出かけたいと思います。
今、私のこのような大病経験後の状況下でも生き長らえている自分が不思議でなりません。というのも、大腸の手術をしてくださった先生は亡くなられ、患者だった私が胃を切除後も生き残っていること、そして、大げさながら、肺の残りの部分のがん化に怯えながらも生きていることです。私が今、ここまで生きてこられたのもたいへんラッキーで、皆さんに感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。
(東京都八王子市)