「余命6ヵ月」、つらかった抗癌剤治療

食事療法に努め、好物の讃岐うどんも再び口に

診断は進行性噴門癌

「余命6ヵ月」、つらかった抗癌剤治療

私は建物の防災設備メーカー(本社東京)に勤務しています。37歳のとき、大阪より徳島県へ転勤し、現在、香川県で関連会社の取締役・統括部長として勤務しております。

2年前、60歳になった平成24年1月頃より、げっぷが出始めました。かかりつけの医師から逆流性食道炎と診断され、薬を処方されました。症状は2、3日で治まるものの、また出てきます。その繰り返しが3ヵ月ほど続いたので、さぬき市民病院に行き、私のほうから胃カメラによる検診を希望しました。

胃カメラを飲みながらモニターを見ていると、ただれた個所から血がにじんで垂れ落ちており、「癌」ではないかとの思いが頭をよぎりました。診断結果は、後日、担当医から説明しますとのことで、「癌」でないことを祈っていました。

数日後、診断結果は「進行性噴門癌」でステージⅣとのことでした。私は頭が真っ白になり、茫然としている中、手術方法の説明があり、胃、胆のうの全摘(膵臓摘出の可能性も)を淡々と告知されました。毎年、会社の健康診断でバリウム検査をしており、胃は丈夫だし、健康には自信を持っていたのに、なぜ?と、悔やみきれませんでした。医師は、早食い、大食い、塩辛い食べ物、それにストレスの多い人が、胃癌になりやすいと説明し、バリウム検査だけでは見つからない場合もあるとのことでした。

同年5月22日に入院、翌日に6時間ほどの手術の後、麻酔から覚めると猛烈な激痛がありました。呼吸も口でかろうじてできる状態で、痛みを訴え続けながら、そのうち、眠っていました。再び目覚めると、体にいろいろなゴムの管がつながっていました。手術結果は、膵臓は摘出せずに無事に終わりましたとの説明を受けました。術後4日目頃に重湯が始まりました。1週間ほどでご飯が食べられるようになりましたが、医師から、胃がないため、腸での消化負担を減らすためによく噛かむようにといわれました。

おかゆのときは、さほど抵抗なく食道から小腸へ流れていたのが、ご飯に代わってからは、食道と小腸の吻合部あたりで、つかえそうになることが多くなりました。ゆっくり時間をかけて食べるようにしたり、つかえそうに感じたときは、その場でゆっくり跳び、流れやすくしたりして、いろいろ工夫しました。

家族から余命6ヵ月と聞き驚く

退院したのが6月15日で、25日間の入院生活でした。以前はよく眠れましたが、術後5日ほどしてからは寝付けなくなり、睡眠導入剤を出してもらうことになりました。

退院後は家族で闘病生活について話し合い、免疫力アップが重要と考え、食事療法に努めました。それからは、起床時の青汁、息子が栄養バランスを考え、試行錯誤して作ってくれた特製ジュース、長野県産ブドウ100%のジュース、さらにヨーグルト、バナナ、温めた牛乳を毎日飲食しています。消化が良い野菜や、たまに魚や鶏肉のささみ部分を料理し、お昼は弁当持参にしました。術前は会社の近くのうどん店で外食しましたが、術後は妻が作ってくれる弁当にとても感謝しています。

術後半年過ぎた頃、担当医から余命6ヵ月と宣告されていたと、家族より聞かされ驚きました。手術前63㎏あった体重は、一時期50㎏になりました。12ヵ月を過ぎた頃から現在まで、52㎏ほどですが、食べなければすぐ50㎏前後まで減ります。

術後半年から1年で、胃の代わりとなる小腸の態勢が整うらしく、薬剤師より、食事は5?6回に分けてでもしっかり食べること、筋肉をつけること、そして立ちくらみや冷や汗など、低血糖の症状が出たら甘いものを飲食するようにと、アドバイスを受けました。退院してからは、10時にカロリーメイトとビスケット、15時にバナナとビスケットを食べるようにしています。

今はティーエスワンをやめて楽に

6月23日より、家で経口抗癌剤ティーエスワン(2週間服用後、1週間休薬)と、病院での化学療法(3週間に1回の点滴治療)が始まりました。最も苦しめられたのは便秘でした。現在は、寝る前に漢方薬を服用することで改善されましたが、以前は毎日あったお通じが薬に頼らなければ出なくなり、坐薬を使うこともしばしばでした。

半年後、胃カメラによる経過検査とCTによる転移検査の結果、食道と小腸の吻合部の裏あたりのリンパ節に腫れが見つかりました。そのため、平成25年5月20日より薬を変えての化学療法(今回の点滴剤は脱毛あり)を再開しました。同年11月8日のCT検査の結果では、リンパ節の腫れが少し大きくなっていました。転移は見当たらなかったので、リンパ節の腫れた部位に効く化学療法(点滴)となり、抗癌剤のティーエスワンは飲まなくて済むようになりました。化学療法中、白血球の数値が3000以下となり、点滴治療ができない場合が数回ありました。

3種類目となる化学療法は、週に1回のペースで3週間連続で行い、1週間休みというコースです。前日に血液検査を行い、白血球の数値が3000以下ならば白血球を増やすための注射をする段取りで、11月29日より開始しました。2コース後のCT検査の結果が良好だったため、現在も継続中です。

抗癌剤治療を始めた頃(点滴とティーエスワン服用後1週間)は、食欲がなくなり、食べるのに苦労しました。点滴剤の種類を替え、ティーエスワンを飲まなくなってからは、その症状は2日ほどで済み、今では食べ過ぎに注意するようになりました。

現在は、30分ほどかけて食事をしているのですが、食後10分くらいしてから小腸に負担がかかり始めます。重苦しくなるので、仰向けになって治まるのを待ちます。こうして刺身などのなま物や、消化のしにくい物も食べられるようになりました。以前よく食べていた讃岐きうどんは、消化に時間がかかるので敬遠していましたが、1年ほどしてからおいしく食べられるようになりました。

家族と愛犬に支えられ

私は今、筋力をつけるため、毎日早朝に30分ほど、愛犬「らん」と散歩をしています。生後2ヵ月の頃に買ってきた真っ白だった柴犬ですが、2年目頃から薄茶色の毛が出始め、4年目になる現在も薄茶色のままです。車で遠出する際は、ほとんど連れて行きます。らん専用の敷物を車の助手席に入れるのを見ると、「早く乗りたい」と喜びます。

また、今年になってから、家から少し離れたところにある妻の実家の土地で、畑や樹木の手入れの手伝いに駆り出されています。斜面を切り開いた段々畑のため、よい運動になります。都会育ちの私が、この歳になって草刈り機を扱うようになるとは、思いもしませんでした。

大阪からの転勤で、徳島県での生活を経て香川県に来て16年目、ここが終の棲家かと決め、妻の実家に住んでおります。今は、早く治療を終えて、家族と愛犬らんを連れて、旅行することを楽しみにしています。

最後に、この体験記を読んで同じ病気で苦しんでいる方に少しでもお役に立てばと寄稿いたしました。