術後33年、山あり谷ありの人生

やることがいっぱい、感謝の日々

退院日はクリスマス

術後33年、山あり谷ありの人生

私は、現在、徳島市で夫と2人で暮らしています。1978年11月の34歳のときでした。何を食べても何も食べなくても胃が痛み、薬を飲んでも治まりませんでした。市民病院に勤務する友人に勧められて胃カメラ検査を受けた結果、担当の医師から「99%治る早期の胃癌です」と宣告され、12月6日に手術となりました。

大学受験の娘、小学生の息子と夫、姑と暮らしていましたが、家族の協力もあり、楽な気分で手術を受けました。しかし、33年前の医療のせいか、術後3日間は痛くて苦しくて、話すこともおっくうでした。

4日目頃からやっとテレビを見ようかなという気分になりました。つらかったのですが、まだ若く、これから何とかなると思っていました。退院日はクリスマスで、主人の車で魚屋さんに寄ってもらい、夕食の魚を買って帰りました。ほかの人から見ると、えらいのんきな病人と見えたことと思います。主婦として、あれこれと気を遣うのでしょうか、病気のことも忘れるくらいでした。そのようなとき、友人からいただいた協和企画発行の『胃を切った人の養生学』は、たいへん役に立ち、その本に紹介されたアルファ・クラブに早速入会しました。

毎月届く会報の後遺症に悩む会員の方々の記事は参考になりました。私はソーメン、うどんなどは消化に良いと思って口にしたところ、詰まって苦しくて死ぬ思いをしたこともありました。食後はよく胸がドキドキしましたが、しばらくすると落ち着きました。

結婚式には車いすで

今年の4月15日、息子の結婚式を徳島の由緒ある忌部神社で挙げることになりました。そしてまた、いつもの自分が何でもするというクセが出て、衣装、美容院、カメラ、ビデオ屋さんと、結婚式の準備をいろいろしていました。

式の1ヵ月くらい前、家で息が苦しくなり、徳島大学病院へ救急車で搬送されました。持病のぜん息かと思いましたが、心臓と肺がアレルギーを起こし、心臓と肺に水がたまっていたそうです。心筋炎という珍しい病名でした。このときはICU(集中治療室)に30日も入りました。心配性の主人は死ぬのではないかと思ったらしいです。けれども幸いにも良くなり、正常な心臓と肺に回復しました。長い間のICU生活で足の筋肉がすっかり弱って、ヨレヨレの状態でした。

しばらくの間はつえを使っていましたが、気分が滅入って仕方がありませんでした。薬の副作用でフワッとした感じになり、困ったこともありました。今は、足の筋肉を元に戻すようにリハビリに通っています。

結局、息子の結婚式には、91歳の実母と私が車いすで出席し、何とも変わった光景になってしまいましたが、印象深い結婚式でした。この病気をして退院後に思うことは食事のことです。食べる!こんなすばらしいことはありません。欲しくない!食べたくない!なんていっている人を見ると、何で?と思います。食べなかったら、人間は生きることができません。自分を大事にするということは、食べることです。私は、朝起きたら、まず、何を食べるかを考えます。

ご飯だけでも、こんなにおいしい食べ物はありません。ご飯は生きる基です。テレビの料理番組は必ず見て、参考にしています。私の体重は術前は31㎏でしたが、今は42㎏。胃を切除すると体重が減る人が多いようですが、私はなぜか逆です。

それでも、身体はスルメ状態ですので、これからは頑張って体重増加に努めたいと思います。それには、ご先祖さまに「命をもらいました」と感謝して、仏壇へコーヒー、ご飯、お花を、毎日備えています。

楽しい趣味の世界

私は若い頃から物を作るのが大好きです。人形、古布パッチワークなどの創作で、家庭画報準大賞、同優秀賞、ユザワヤ銅賞をいただき、徳島駅前のビルで個展を3度も開きました。寝ながらでも刺しゅう、小物作り、人形の制作をしています。好きなことをするのがリハビリになると思って…。

ウクレレも60歳から習い始め、大声で歌っています。友人と美術館巡りをしたり、また、子どもたちに会いに東京へ行ったりと、本当に幸せに暮らしています。これも主人の支えがあるからで、今の生活に感謝しています。ほかの人から見ると、私は好きなことをして、のんきに暮らしているように思うかもしれませんが、なんのなんので、山あり、谷ありの人生でした。山はハワイのキラウエア火山の真っ赤なドロドロ溶岩、谷はアルプスの谷底で、誰にも味わえない術後33年間でした。

いろいろあった生活も、3人の子どもがいたおかげで、今日まで暮らせたのです。病気をしてからは、1人では暮らすことも生きていくこともできないと実感しました。

家族と友人たちに感謝

夫も、私が一生懸命に食事を作っているので、それが元気の基といってくれます。私にはこれがとても嬉しく、毎日の食事作りの励みになっています。年は取りましたが、2人で生きていこう、助け合っていこう、とお互い支え合いながら暮らしています。

病気になって特に思うことがありました。それは、4人の親身に見守ってくれた友人がいたことです。今でも心より感謝し、これからも大事に交友を続けていきます。大病してわかったのですが、夫、子どもたちの支援に改めて驚いています。

特に娘は、日頃は親に何かと厳しかったのですが、病気になってたいへん優しくしてくれました。こんなに私をサポートしてくれるとは想像していませんでした。この子たちのためにも、長生きして、傍から見つめたいと思っています。

いろいろなことを考えると、私にはまだまだやることがたくさんあり、これからの年月を、大事に生きていこうと思います。