先達に学び、百歳を目指す

弁護士生活24年、三途の川を引き返す

医師の一言

先達に学び、百歳を目指す

今から40年前の昭和47年4月、北九州市小倉の裁判所から長崎県五島市の裁判所に転勤となりました。新任地で秋の健康診断を受けたところ、医師から、胃に大きな潰瘍が発見されましたといわれました。

私は、体に何の異常も感じませんでしたが、庶務課長から、早く五島病院で医師の詳しい診察を受けるように真剣に勧められました。妻は5歳の子らを置いたまま、検査資料を持って本土の大学附属病院の診断(セカンドオピニオン)を求めて島を飛び立つのを見てわかっていたようです。

患者には告知されないものの、私はてっきり癌にやられたと思いました。当時、癌の患者への告知は、一般的でなく、癌は死に至る恐ろしい病であり、私の人生も、42年でお終いになるのかと目の前が真っ暗になりました。五島病院で診察を受けた結果、医師から、「潰瘍は薬の服用による内科的治療(ただし、再発の可能性あり)、開腹手術により胃の患部を切除する外科的治療があるが、どちらにするかを決めてください」といわれました。

さらに、自分の病状を確認する余裕もないうちに、医師から、「あなたが私の弟だったら、腹を切りますよ」と、打ち明けられ、この一言に感激し、迷わず開腹手術の決心をしました。でも事実は早期癌で、告知はされませんでした。

厄年から第2の人生へ

決心した以上、年内に手術をすることにして、当時、甥の勤務していた国立熊本病院に入院し、昭和47年12月25日、ビルロートⅠ法による幽門側胃切除を受け、胃の3分の2を切除しました。麻酔の切れた手術後の第1夜は、全身の痛みに身の処しようもなく、謡曲「歌占」に出てくる地獄の責め苦もかくやと思うほど、難行苦行の世界をさまよいましたが、その後は、回復に向けて積極的に取り組まされたおかげで、経過も順調で1ヵ月半後に無事、職場に復帰することができました。

このように、42歳の厄年から、3分の1の胃で、第二の人生が始まりました。昭和49年4月に大阪城近くの大阪家庭裁判所に転勤。術後治療はKKR大手前病院に通院することになりました。副院長の西岡稔先生(当時)を紹介していただき、大阪在住の3年間は同先生の指導の下、3分の1の残胃で(薬はビオフェルミンとメチコバール)、健常者と同じ生活の質(QOL)を保てるまでになりました。

その後、山口市、大分市、小倉市と転勤して、裁判官生活25年間が過ぎました。その間、月1回程度の宴会では、ビールで乾杯し、料理も1人前を残すことなくいただけるようになりました。58歳の4月、定年まで7年を残して退官しました。その後、大阪城の近くに事務所を構え、再び西岡先生の健康指導を受けながら、弁護士として第二の人生を歩み続けました。

残胃癌を手術

ところが、平成15年5月に定期検診を受けた際に、西岡先生から精密検査を勧められました。大手前病院にて胃の内視鏡検査の結果、残胃吻合部胃側後壁に癌細胞が発見され、今回ははっきり残胃癌の告知を受けました。全く予期しない青天の霹靂で、残務整理の必要から、即座に入院もできず、入院前にできるだけ検査を済ませました。大手前病院外科に入院し、6月23日、残胃全摘の手術を受けました。

当日午前9時、手術室へ搬入され、仰臥位で前回の術創に沿って、上腹部正中切開にて開腹手術を開始。出血量は600ml、輸血はせず、4時間20分で、無事、終わりました。病理検査の結果、早期癌でリンパ節転移も認められず、抗癌剤などの補助療法も不要と診断されました。残胃癌は執刀医の森口聡先生の神の手によって完全に制圧され、命の恩人と感謝しています。術後の経過もすこぶる良好で、7月22日晴れて大手前病院を退院し、間もなく73歳の誕生日を迎えることになりました。

私のお礼状

73歳の誕生日を迎えるにあたって、入院中、見舞ってくださった人々へ次のようなお礼状を送りました。

私こと、このたび、閻魔大王から、大手前病院への緊急入院を命ぜられ、1ヵ月余の荒行苦行を積んでおりましたが、皆様のご支援により、地獄の責め苦もなく、おかげで、三途の川で引き返し、7月22日「願西坊制圧居士」の称号を得て、無事、極楽浄土に戻って参りました。術後3ヵ月を経過し、回復も順調で、目下、百歳までの第三の人生を力強く歩んでおります。入院中賜りました皆様のご支援、ご芳情に対し、衷心よりお礼申し上げます。

城若葉 命はればれ 蘇る
平成15年9月29日 七三翁

先達の生き方に学ぶ

平成15年6月の2回目の手術以来、私の第三の人生は10年近く経過しましたが、徒然草の「何事も先達は、あらまほしきもの」とあるように、これからの生き方について二人の先達の生き方を貴重な道しるべとしています。

その第一の先達は、日野原重明先生の生き方です。本紙1月号でも健康で輝いて生きるコツを教示され、①食事②睡眠③運動④脳の活性化を説いておられます。私は先達の年齢まで、あと18年間ありますが、高嶺の花を眺めながら、ゆっくりと歩いて行こうと思っています。

もう一人の先達は平成22年4月21日、前立腺癌による癌性胸膜炎で永眠された多田富雄先生の歩み方です。文学青年で能への深い関心を寄せ、自らも新作能を書かれた東京大学名誉教授の多田先生は、平成13年5月に旅先の金沢で脳梗塞で倒れ、意識を失い3日後に意識が回復しました。その際、多田先生は急死して3日後に蘇生した異形の占師が、死んで見てきた地獄の有様を謡い舞う謡曲「歌占」の場面を脳裏に浮かべました。右半身まひに言語障害、嚥下障害などの重度の後遺障害を背負いながら、これを乗り超え、左手だけで、パソコンを操作し、多くの手記を残し、生きる戦いを続け、寡黙なる巨人として、10年近くを歩いてこられました。

私は、これらの先達の生き方を見習いつつ、第三の人生を天命に従い、「日々是好日」として、歩いて行こうと思います。