存在の社会化

がんは生きるために与えられた

出逢いに恵まれて

2007年5月、胃の全摘と胆嚢(たんのう)を予防的切除しました。再建はルーワイ法です。8月の職場健診では問題なく、年明け3月の地域健診で要精検となり、がん診断につながっています。

見落としがあったのか、進行が速かったのか、漿膜(しょうまく)にまで達するがんをなぜ8月にわからなかったのだろうか。見つかっていたら抗がん剤は使わずに済んだかもしれないという思いがあります。

要精検の結果を持って、かかりつけ医で内視鏡検査を受け、がん告知。「私が胃がんになったら手術をしてもらおうと思っている先生にお願いしましょう」。かかりつけ医が尊敬できる主治医と最善の医療につないでくださいました。

主治医は検査結果や治療方針など専門的な内容を丁寧でわかりやすいものとし、この先生で治らなかったらどこで診てもらってもだめだろうという信頼感がありました。

術後2日目、硬膜外カテーテルが外れ、痛み止めのボタンを押しても軽減しない苦痛。漏れた薬剤で背面は痒みと痛みの入院生活ながら回復順調、2週間で退院しました。

抗がん剤治療

退院後の初外来で補助化学療法の説明がありました。抗がん剤治療の対象だと知りショックでしたが、選択肢の必要性を理解し、その場で承諾しました。

抗がん剤はティーエスワン、担当は腫瘍内科。当初は4投2休を1年の予定でしたが、2投2休、1投2休と休薬が多くなりました。副作用はひと通り体験し、なかでも味覚・嗅覚障害と消化管症状が強く、流涙(りゅうるい)は後遺症となっています。

唾液の分泌が減少しペタペタと張り付くような不快感、明太子のような舌。口腔内の出血と痛みで食事もままならず、歯磨きも十分できず白湯での口ゆすぎがやっとでした。

「どうしますか? 一応出しておくけど副作用がひどかったら止めて」。パソコン画面を見ながら事務的に話す医師。「もう抗がん剤を止めたい」と思う反面、副作用の辛さより止める怖さ、中断したことを後悔の理由づけにはしたくないというジレンマ。結局は止めると言い出す勇気がありませんでした。

切羽詰まったこの時期に、白坂先生との出逢いがありました。アルファ・クラブ事務局から記念講演会の招待をいただいたことがご縁でした。白坂先生の著書「S-1誕生」を繰り返し読みました。お忙しいなか多くのアドバイスと根拠に基づいた文献を継続していただきました。

副作用は連続投与時の細胞ダメージが大きかったこと、薬剤に対する感受性が強いこと、細胞は必ず回復すると伺い信じて待ちました。「私が世に出した薬だから責任を持つ」その一言が、ブレルことなく治療に導いてくださいましたことを感謝しております。

経緯があり、抗がん剤の担当医が変わりました。「止めるしかないだろう」。と言われていた薬が隔日投与になりました。発現する自覚症状に対して、意外にも生検・血液検査の数値は問題のないものでした。「続けても大丈夫そうだね」。主治医の言葉が嬉しくて治療を頑張れたように思います。

体重減少を何とかしたいと考えるようになった頃、退院時に処方されたままの栄養補給剤エンシュア・リキッドがあったことを思い出しました。どうしたことでしょう、当時は匂いが鼻をついて飲めなかったのに飲めたのです。味覚・嗅覚障害は栄養状態を保持するための必然だと思いました。

体重は33㎏で下げ止まり。栄養状態が改善されるに伴い少しずつ体重が増えてきました。味覚・嗅覚の不便さに慣れた日常にも回復の兆しが確実に訪れました。法事で焼香をしていたら、おぼろげな記憶を呼び戻すように香りに反応しました。

哀しみのさなか、不謹慎にも歓喜の涙。日ごとに戻ってくる感覚、生きている喜びを実感しました。治療は1年6ヵ月におよび、飲み切れたことは今の生きる自信につながっています。

HOPE 生きる力の源に

副作用と、再発・転移の恐怖からくる焦燥感・絶望感に怯え、これからもずっとこのストレスを抱えながら生きていくのか。そんなことばかり考えていた私は、周囲に自分はがん患者だと言えずにいました。

RFL(リレー・フォー・ライフ)活動が、がん患者の自分を否定から肯定への転機となりました。RFLでは、がん患者をサバイバー、患者を支えるすべての人をケアギバーと称します。リレーに参加したくても参加できないサバイバーの声に応え、発信することを自身への課題としています。

RFLはサバイバー、ケアギバーの存在を社会化する場の提供だと私は考えています。単なる健康祭りではありません。サバイバーとケアギバーの1年を讃え、祝い、偲び、明日への希望をつなぐ24時間なのです。今年も全国で開催します。会場で仲間が待っています。さぁ皆さん一緒に歩きましょう。

伝えきれない感謝とともに

副作用に八つ当たりしながら何の役割も見いだせずにいた私に新たな居場所ができました。現在、患者会と病院ボランティアで活動し、ピアサポート(同じ悩みを持つ仲間)とグリーフケア(悲嘆者への支援)に関わっています。患者は多くの困難を抱えながら、制度を知らないことで方向性を見いだせずにいることがあります。患者が生きるための権利として制度の公平性につなげたいと思っています。

「新たな朝に今日も大切に大切に生きよう、折れない心で生きようと祈る」。がんになって失くしたものより恵みの大きさに気づいた十年、伝えきれない感謝とともに在る私。支えてくださった皆様ありがとうございます。おかげさまで生きています。感謝。

(福島県在住)