みんなに支えられた教員生活

リタイア後は機織り、書道、歌を楽しむ

職場、生徒、夫の温かいフォロー

体験談挿絵20170415

平成7年、小学校の教員をして3年生を担当していた頃です。阪神淡路大震災の年で、私の胃の状態は最悪でした。食べて1時間後に襲ってくる激痛に体を折り曲げて耐えるという状態で、それが過ぎると何事もなかったように仕事を続けました。

前年の9月に近所の病院の胃カメラ検査で異常なしと診断されていました。仕事が一段落した翌年の3月に人間ドックに行きました。この痛みは胃潰瘍だろうと決めて結果を聞きに出かけ、胃がんを告知されたときは涙があふれました。新しいクラスを受け持ったばかりで戸惑い、泣きながら帰路に着きました。

家で夫に告げると「よし、わかった」と大きな声でいわれました。就職したばかりの息子は情報を探し、「初期に治療すれば完治する」といいました。老いた母には何もいえませんでした。でも母はすべてを察知して、私の帽子を絹糸で編み始めました。

受け持ちの子どもたちにはどうしてもいい出せず、病休みに入る前日に、「もし、先生がいなくても元気にやってね」とやっといえました。平成7年5月、50歳のときに胃の亜全摘手術を終え、挨拶をしに学校へ行くと職場の仲間がフォローをして待っていてくれ感激しました。

9月の2学期に学校に復帰しました。10㎏近くやせた私を見て子どもたちは机を運んだり給食を少しにしたりして気を遣ってくれました。休んでいる3ヵ月間、必ず学校に戻るという固い決意で積極的に治療に専念して良かったと思いました。入院中、病室でアルファ・クラブの書籍を紹介されました。胃がなくても上手に食べる方法が書いてあり、その通りに実践しました。

退院した日、母の家に着くと母はジャガイモの柔らかい煮物を作って待っていました。家では夫がすべての布団を干し、シーツもカバーも新品に替えてありました。私は多くの支えで元気に過ごすことができました。

母の教え

30年という区切りで、平成9年、52歳で小学校を退職。希望して教育支援の教室で働くことにしました。学校に行けなくなっている中学生と学習や生活をし、一緒にお弁当を食べながら語り合います。多くを語らない生徒も卓球で「ピン・ポン」と会話し、ラリーが続きます。お陰で私の体も丈夫になりました。

上司や同僚は私の事情をよく理解してくださり、安心して仕事をすることができました。苦境の中でも一生懸命励む不登校の中学生とともに、生きることの大切さを学んだ8年間でした。

平成17年、60歳で定年を迎え、母の介護生活に入りました。毎日、自転車で30分の所で暮らす母の家に通いました。母に作る食事は私の食事と同じです。母は95歳で乳がんの手術もしました。「幾ちゃんもあのとき、こんなに痛く苦しい思いをしたのね」といい、母は自分の人生経験をたくさん語ってくれました。「体の調子が悪いときは無理をしなければそのうち治り、体を冷やさないように下着に真綿を使うといいよ」など、その教えは数限りがありません。

「いつかきっとこうなると思って毎日をこつこつ生きていると必ず願いはかなうし、チャンスは来る」「あんたを産んでよかった。戦争中で苦労したけどね」といい残し、98歳で亡くなりました。お世話ができて良かったと思います。

その間に息子は結婚し、孫が生まれ、若々しい感覚で未来に向かって日々励んでいます。私はその応援団になっています。

夫の健康は私のおかげ(笑)

私が気をつけていることは食べ方です。ゆっくり、よく噛んでマイペースです。消化の良い栄養ある食べ物をきちんと料理します。疲れているときや考え事をしながら食べるのは避け、楽しく食事をします。夫が「健康診断で俺はオールA」と自慢すると、友人に「幾子と同じ物を食べているからよ」といわれ、大笑いになりました。

会食のときは友人たちに理解してもらい、ゆっくりと少食です。コンサートホールや映画館では、なるべくトイレに近い席を選び、安心第一で楽しんでいます。

貧血になったときは釘刺しりんごが効きました。つかえて苦しいときは背中をさすってもらい、ゆっくり通過させます。このごろは血圧不安定に悩んでいて、不安で積極的に行動できないときもあり、脳と心と胃腸が強くつながっていることを実感しています。深く呼吸を整え、落ち着いて対処しています。

蚕を育て糸を繰ることに喜び

最近、近くに信頼できるお医者様を見つけました。「胃が弱い人が世の中にはいるのですよ」との一言で「そうか。強くなろうとして頑張らなくても」と思います。ていねいにおなかを診て、「ヘルニアで小さい胃だからね」と、太れないで悩む私に助言をくださり、この一言で安心します。夫もよく私に付き合ってくれます。長い時間のトイレも待っていて、私の日課の体操や散歩を一緒にするときもあり、とても心強いです。

このごろの私は、蚕(かいこ)を育てて糸を繰り、織ったり編んだりして小物を作っています。これは私の長い間の夢でした。きっと母の影響です。蚕の不思議な糸や真綿に私の研究心が膨らみ、糸や真綿を触るたびに柔らかさ暖かさに感動します。手仕事は生活を生き生きとさせてくれます。

童謡も歌っています。一つひとつ歌を歌うたびにそのときの情景や思い出が脳裏を駆け巡ります。心地よい楽しさです。書道も続けていて、自分の最も苦手なことへの挑戦です。今は仮名文字を美しく書きたいと思っています。手仕事も歌も書も元気で熱心な仲間たちと一緒に楽しんでいます。

胃をいたわりながら、明るく元気に、少し人に役立つこともして過ごしていきたいと考えています。手仕事の良さを人に伝えたり、エッセイや絵本にも挑戦したいと夢は膨らみます。

(東京都東久留米市)