食道・胃を手術、大学講師で人材育成中

突然の突発性難聴

4つの障害を抱えて生きる
 平成24年1月20日、4年ぶりに胃カメラ検査を行った。報告予定日より早く「病院に来てください」と電話があった。若い医者より「食道と胃にがんがあります」と宣告された。これまで何の違和感も痛みもなかったのに「なんで?」と驚いた。
 
 翌々日に入院となった。2月7日に開腹し、開胸手術(肋骨切断)を行った。7時間にも及んだ。退院は連休前の4月28日だった。体重(身長171㎝)は74㎏から54㎏まで減少していた。別人のような姿で、やっと自宅にたどり着いた。

 
術者である私は48歳まで九州の工場に勤務したあと東京本社、九州、大阪、千葉の工場を経て子会社に出向した。勤務期間はどこも2〜3年と短く、組織を引っ張っていくのは大変なことだった。やがて、親会社より合併話があって子会社は消滅し、退職した。平成20年6月に福岡に戻った。
 
 家内の故郷には新築して1年しか住んでいない空き家の自宅がある。7月より地元の中小企業で勤務を始めた。61歳になったばかりで、健康のためにゴルフ三昧(ざんまい)で楽しく過ごそうと在京時に会員権を購入していた。
 
 平成20年9月にリーマンショックが起こった。当然、中小企業の経営も大変だったが、私の体も大変になった。8月4日に病魔が襲ってきたのだ。朝5時30分頃目が覚めたが、未明なのになんとも煩わしい蝉(せみ)の鳴き声が聞こえていた。トイレに行き、右耳を塞いで水を流したがゴーッという水流音が全然聞こえなかった。「あれ、左耳が詰まったかな」と思い、近くの耳鼻科に行った。
 
 診断は「突発性難聴」。耳鼻科医の紹介で脳神経外科に行き、10日間入院した。良くならないので鍼灸(しんきゅう)院、大学病院の耳鼻科、心療内科、総合診療科などにも行ったが改善はしなかった。
 
 原因はストレス、疲労蓄積などがあげられた。エアコン・扇風機・テレビの音、台所の水音、雨の音、紙の折り畳む音、車の走行音、パソコンの回転音、人混みの騒音などが響き、脳を締めつけるような状態が長く続いた。ゴルフもできない状態なので、会員権は何の役にも立たなかった。

食道がんの手術、そして合併症

んな体調のまま、3年半後に「食道がん」との遭遇となった。聴覚過敏や耳鳴りのため、検査機器の音、エアコンの音などが入院生活で苦しい弊害となった。耳栓が多少の負荷を軽減してくれた。

 平成23年秋の定期健康診断で検便サンプルの1つに潜血反応あった。これが「食道がん」の発見につながるとは全く想定していなかった。食道の扁平上皮が胃液の逆流により腺がん化したバレットがんであった。噴門の上部7㎝くらいの部位で比較的浅く粘膜までの深さだったという。PET検査ではがんの進行・他所での検出はなかった。
 
 医師の話によると、食道と胃は3分の1ずつ、周りのリンパ節も切除して食道と胃を縫合するという。左胸を開き、肋骨を切断して開腹をする手術とのこと。
 
 待合室の掲示板ではセカンドオピニオンを推奨していた。家内はこの手術の負担を心配し、内視鏡治療が可能な病院にセカンドオピニオンの予約を入れた。その日が手術の予定日と重なったので担当医に相談したが、断念することになった。最初の病院の選択が重要であることを痛感した出来事だった。

縫合不全から肺炎になる

術は予定時間より長かった。術後、不要液(ドレーン)抜きのパイプが数本、身体に刺し込まれていた。ドレーンパイプの刺し替えが繰り返された。

 縫合不全による炎症が起こり、その合併症で肺炎となった。発熱が続き、医者や看護師の真剣な取り組みが伝わってきた。回転かごでネズミが一生懸命に走れども前に進まない夢をよく見た。地獄絵図のようだった。
 
 体重減少がひどく、3月末に鼻から腸に管を通して栄養補給が開始された。下痢や管との摩擦による痛みがつらかった。スプーンで水を口の中に入れたらジュジュという感じで体内へ流れ、口から食べることの有難さを実感した。

 バルーン処置による縫合部の拡張術を3回受けたがこれもつらいものだった。すべてのパイプが引き抜かれたのは、退院の1週間前だった。
 
 季節は、真冬から春に変わり、退院前に必要な衣服を買った。腹囲88㎝が76㎝、首周り42㎝が35㎝になり、術前の服はどれもダボダボだった。睡眠時の逆流防止のために電動リクライニングベッドも購入した。
 
 自宅に帰ってからは、杖(つえ)を使って散歩を始めた。やがて杖は要らなくなったが、左肺が潰れているためか息切れがひどく、歩行速度は上がらなかった。〝骨皮筋衛門〞なので椅子に座ると尻が痛く、血圧も100程度と低く、手や足先が冷えやすくなった。

今は大学の非常勤講師

んなときに、家内からアルファ・クラブの存在を聞き、早々に会員となり、書籍を3冊ほど購入し、日常生活の指導書とした。

 つかえは時々あったが、ゆっくり咀(そ)しゃくして食べるように気を配った。ダンピング症状は食後によく起こり、ガスもよく出た。DVDを見ながら気功をして、ダンベルによる筋力トレーニングも行った。
 
 なかなか食事量が増えないので、現在も栄養補助剤を飲んでいる。スポーツジムに通い始めて1年がたつ。体重は57〜58㎏だが、筋肉がついて、肺活量もアップしてきた。最近は夜、家内との40分程度の散歩を日課としている。
 
 昨年6月末、勤務していた中小企業の経営を後輩に譲った。教養(今日、用事)・教育(今日、行く処)がある生活が大切と思い、大学の非常勤講師だけは続けている。不十分な体力と耳の病気とで、なかなかつらいところだ。学生が日本人の心を持った人間に育つようにと期待している。
 
 私はいまも4つの障害物を抱えている。【難聴】聞けども思うに聞こえず【声枯れ】発すれども思うに発せず【行動難】動けども思うに動けず【食事難】食らえども思うに食らえず
 
 障害物を跳躍台として生きたいと強く思う。

(福岡県大牟田市)