異郷の地で28年、病魔と闘い続ける

ガーデナーのはるかカナダからの手紙

母からの遺言

異郷の地で28 年、病魔と闘い続ける

今、私はワインを片手に、サンデッキからカナダの落ちる夕陽を見ながら、在住28年の人生をしみじみと省みている。38年前、日本で流行った平尾昌晃・畑中葉子の『カナダからの手紙』を口ずさみながら……。

私は20~26歳の間を、ヨーロッパ、アフリカ、北米、中米を、日本に一度も帰らずアルバイトをしながら放浪生活していた。最後の訪問地であったカナダのバンクーバーから帰国したのは、1979年の暮れだった。翌年9月に信州・八ヶ岳で妻と知り合い、結婚した。帰国後は銀座の貿易会社に勤務し、夜9時前に帰宅することはないという生活が、胃がんが見つかるまで続いた。

1986年7月に母が胃がんで60歳で亡くなった。前年末から背中が痛いと訴え、がんとわかったときには余命1ヵ月といわれ、そのとおりとなった。母の遺言は胃がん検診をきちんと受けることだった。私はその年の9月、千葉県八千代市のX線胃がん検診を受けたが異常はなかった。

翌年1月、母親の反対であきらめていたカナダへの移住をしようとカナダ大使館へ書類を提出した。安心して渡航できるようにと気楽な気持ちで4月に再びX線胃がん検診を受けた。その再検査の葉書が届いた翌日に移民許可の書類が届いた。検査結果は胃がんとのこと。34歳の若さでどうして胃がんになるのかと自問する毎日だった。2人の娘も3歳と2歳と幼く、もう二度とこの子たちの顔を見られなくなるのかという不安の反面、この子たちのためにも必ず生きるという気持ちがわき上がった。同時に私が死んだら妻も26歳の若さで2人の娘を抱えてやっていけるのかと不安だらけだった。

35歳でカナダに移住

1987年の7月、千葉大学附属病院にて剣持敬先生の執刀で、胃全摘とともに、脾臓、リンパ節、横行結腸の3分の1も同時に取る手術は11時間に及んだ。73㎏あった体重は49㎏まで落ちた。術後1ヵ月の退院間近に腸閉塞になり、8月末に再手術、退院したのは10月だった。入院中は妻と娘たちが面会に来てくれることが唯一の楽しみだった。足腰が弱り、退院後はリハビリに励んだ。

カナダ行きはあきらめようと思っていたが、担当医ではなかったが事情を知った落合武徳先生に「大丈夫だから行ったらいいよ」と背中を押していただき決心がついた。移民許可が切れる直前の1988年2月にバンクーバーに移住した。

カナダに来て間もない頃、食べたスパゲッティが原因で腸閉塞になり緊急入院した。その後も逆流やダンピング症候群があり、甘い物が手放せない。術後半年での移住で、後遺症対策がわからず、読売新聞のウェブサイトで書籍『胃を切った人警戒したい12疾患』に出合い、アルファ・クラブに入会した。

移住当初は魚のトレード(貿易関連)をしていたが、1998年からは夫婦2人でガーデナーの仕事をしている。草刈り、剪定など家庭、会社の庭のメンテナンスだ。約50件の顧客を相手に3月頃から11月まで仕事をする。

悩ましいカナダの保険制度

10年ほど前から病魔が再び私を襲い始めた。蓄膿症の手術を2回受けたあと、後遺症として嗅覚喪失。そのあとは、網膜剥離、白内障、肺炎、帯状疱疹と病気ばかりしてきた。
2010年9月に突然激しい耳鳴りに襲われた。専門医の手違いで検査するまで2年待たされ、MRI検査をしたら、脳腫瘍の一種で聴神経腫瘍だという。直径約2・7㎝大の良性腫瘍が左耳のうしろにできていたが、進行が遅いので、手術は緊急を要さないといわれた。

この国では一律の国民総加入保険(私の場合、夫婦で1ヵ月約1万円)で、医療費はかからない。しかし、手術や大きな検査(CT、MRIなど)は一般的に半年から1年待つ。私立病院がないので医者を選ぶこともできない。お金持ちは高額の医療保険に加入して、アメリカなど外国で治療する。

私は日本での手術をネットで調べ、日本の医師に相談したが、「外国人なので保険医療が受けられず自由診療となる。治療費、滞在費、渡航費用で約4百万円かかる」といわれ、断念した。手術をしたのはさらに2年後の2014年11月25日。頭蓋骨に穴を開け、7時間かかった。それなのに入院はたったの3日間だった。術後、脳髄液漏れを起こし、2ヵ月後に再度の開頭手術。手術の2時間後に退院となった。腫瘍は摘出したものの、前にも増して激しい耳鳴りが続き、片耳完全失聴と耳閉塞感に襲われている。手術後も順調な回復とはいい難く、顔面半分に痛みと引きつりがあり、とてもつらい状況にある。

天を仰いで感謝の日々

こんな体でも暑い日、寒い日、雨の日も大空の下で仕事を続けていることが体に良いと思っている。家では、仕事先で刈った芝生や落ち葉を堆肥とした無農薬野菜栽培でジャガイモ、キュウリ、いんげん豆を作って楽しんでいる。夫婦2人の生活になったので年に数回はアメリカのオレゴン州へドライブに行く。カナダも素晴らしいが車の運転が好きなのだ。大自然の中に身をおいて生活することで今の自分があると思っている。

長女は大学卒業後、就職し、7年前に香港系カナダ人と結婚。来春、初孫が生まれる。ピアノ専攻の次女は、トロント大学を卒業し、今秋に結婚の予定だ。カナダに来てもうすぐ丸28年、それは病との歴史でもあった。カナダ入国後は術後すぐでもあり、自分だけではなく家族の行く末を思い、とても不安だった。5年、10年と節目を迎えたときは感謝でいっぱいだった。私の性格が特に明るいわけでもないが、落ち込む余裕はなかった。特に夜昼と天を仰ぐとすべてが感謝だけしか残らないような気持ちにだんだんと変わった。私以上にもっと大変な病気を抱えて生きている人々を思うと、今ある私は幸せと思える。

つい先日、娘たちが、「お父さんががんになってもカナダに移住して良かったよ」といってくれた。私も心からそう思う。病身の私を支えてくれた妻にも感謝でいっぱいだ。