始まりはボランティアの癌患者サポートイベント

初めての胃カメラで〝運が良い!?

善意の連鎖に感謝

平成26年9月、腹腔鏡下で胃の全摘を行い、ルーワイ法で再建をした。ステージⅠAの早期癌と聞いている。

私は、東京の電機メーカーで40年間にわたって営業職に携わり、その後、56歳から東京のタクシー会社で乗務員として、嘱託で働いている。
1年前、東京に雪が降った2月頃から身体のだるさ、胸の違和感、胸やけが続いていた。長年、糖尿病と高血圧でお世話になっているかかりつけの先生からは、当時74㎏の体重(現在58㎏)を落としなさいといわれていた。正月明けに診察を受けに行った際に「2㎏落としました」と告げると、先生は真面目な顔で「体調不良が続いているのは、少し、癌を疑ったほうが良いですよ」と話され、気になった。

桜が咲き、初夏に向かっても胸の違和感、ムカつきは続いていたが、私は老化現象の変調くらいにしか思っていなかった。7月に、さいたま市の健康診断で、毎年、家内からいわれていた胃の内視鏡検査をオプションで受けた。検査結果で腫瘍が発見され、「初めての胃カメラで腫瘍が見つかるとは運が良いですね」と妙な言葉をもらった。約1ヵ月後、生検の結果から、「胃の上部に小さいのですが、癌が2ヵ所あります。癌相から判断して悪性と思われます。内視鏡で取れますから心配しないでいいですよ」といわれた。〝内視鏡で?という言葉にほっとした。

しかし、癌イコール死の知識しかない私は、他の部位への転移の心配や素早く処置をしてくれないことへの、いら立ちや不満がうっ積して、「うつ」状態に陥ってしまった。

きっかけはNHKのニュース

安のどん底にありながら、4?5日後、朝のNHKのテレビニュースを見ていると、浦和のパルコで「癌患者へのサポート」のイベントが開催されるという。癌についての情報が欲しくて、早速、家内と出かけた。

受付の女性に胃癌の相談をすると、すぐ後ろにいた男性が、「胃のことなら私の出番です」と、私の話を聞いてくれた。胃癌体験者の宮﨑紀さんだった。そのときのアドバイスが、以後の病院の選択に大きな助けとなり感謝している。この人はアルファ・クラブの会員で、胃を切除後、今も抗癌剤の副作用で涙が止まらないという。自分のつらい経験をよそに、このような親切な応対に頭が下った。

今回のイベントは浦和市民病院の看護師さんと癌経験者のボランティア・グループが、癌を告知された患者をサポートする目的で開催された。宮﨑さんから、「手術する病院は決まっているんですか」と聞かれたので、「近くの大きな病院を考えています」と答えると、「癌の専門病院で、技術と実績からいって、東京のがん研有明病院はどうですか。私はここで手術をしたのでよく知っていますよ」といわれた。

手際良い山口先生に感謝

﨑さんから「大宮から有明まで電車で小1時間です。明日にでも外来予約に電話を入れては」といわれた。私も40年間東京で働いていたので、がん研有明病院のことはうすうすわかっていただけに、これで救われると心底思った。

翌日、がん研有明病院に電話をすると、紹介状が絶対条件といわれた。あきらめかけていたら、宮﨑さんのかかりつけ医である地元のK医院を紹介してくれた。その日の午後に宮﨑さん同席で、K医院の院長さんに初診を受けることができた。待合室にがん研有明病院との提携の証書が壁に掛かっていた。市の健康診断から1ヵ月後の8月13日、健診データとともに紹介状を書いてもらった。

5日後、がん研有明病院の初診に宮﨑さんも同席してくれた。紹介状に書いてある先生は山口俊晴副院長(現院長)だった。データを見るなり、「場所と大きさが問題で、上部の場合は基本、全摘になります」といわれ、さらに「吉野家並みに『安い、早い、うまい』がモットー(〝安い?は安心、安全の意)なのでチャッチャとやりましょう」といい、本当にそのあとは早く、「私は開腹手術が主なので、腹腔鏡での手術は、担当の先生にバトンタッチします」と、その日に腹腔鏡チームに移された。手術日は9月8日と決定した。

手術は7時間かかった。病室に帰ってから腹の痛み止めの点滴ボタンを、痛くて5分おきに押していたような気がする。腹の痛みは術後1ヵ月続いたが、抗癌剤は服用せず、11日間の入院で無事、退院となった。

退院の日に栄養士さんから「何を食べても構いません。よく噛んで少量ならOKです。糖尿病の辻内さんは、3年くらい糖尿病を忘れて食事して構いません」といわれ、得をしたような複雑な心境だった。

筋力維持のために

術前は週末にジョギングをしていました。並の速度ですが、フルマラソンも何度か走りました。手術した平成22年は無理でしたが、翌23年に9回目になる大会に参加しました。タイムは4時間34分16秒でした。手術の前年21年11月にも参加していて、そのときのタイムが4時間30分35秒でしたので、筋力はある程度戻すことができるのかと思いました。

また手術から2年後の平成24年から、「第九」演奏会の合唱団に入り、毎年12月に市内のシンフォニーホールで開催される演奏会に参加しています。私はテノール・パートに所属していますが、有名な指揮者の方に指導を受けることができるのが、とても有意義で、いつも新鮮な気持ちになっています。

乳酸菌飲料で快腸

遺症のことはいろいろ調べて頭に入れていた。下痢はなく、便秘が少しあったが、早期や後期のダンピング症状はほとんどなかった。ただ、おならのにおいは強烈で、今までに経験したことがない腐敗臭だった。

食事のたびに食べ急ぎに注意していたが数々の失敗もあった。一番の失敗はイカと里芋の煮物で、イカのリングが噛みきれずにのどにつまり、丸一日、水もつばも飲み込めなかった。かかりつけの先生に内視鏡でイカを取ってもらった。

苦しい経験が学習だと思って挑戦してきた。今でも逆流はたまに起こる。枕を高くしていても術後6ヵ月くらいまでは夜中に頻繁に猛烈な逆流があった。最近は「じんわり」と苦い液が上がってくるようになってきた。

腸に良いと家内から勧められ、ヤクルト400は欠かさず飲んでいる。腸の様子を知るために排便時に色、形、量、においは必ず確認している。最近、腐敗臭が弱くなったのと逆流も少なくなったのは、腸の働きが良くなったからと判断している。

現在、血液検査の数値が9項目で基準を超えたり、少なかったりだが、主治医は「大丈夫、順調なので少しの〝でっぱり?には一喜一憂せず、このままいきましょう」という。

来年の古希の同級会を目指し、日々、散歩に明け暮れている。