5ヵ月の予命から19年目を迎えて

「残念ですが…」に闘志がわく

「生きる機微」を一匹のサルから学ぶ

「あなたの癌は、胃癌でも進行性の浸潤型で、一般的にいうスキルス性の胃癌です。開腹してみないとわかりませんが、腹膜播種も考えられます。たとえていえば、ニュースキャスターの逸見政孝さんをご存じですか?あの方と同じ癌です。組織検査だけの結果でみると、とても残念ですが、あと半年、いや5ヵ月の命…」

初めてお会いした先生の矢継ぎ早に出る言葉に、亡くなった人の例を出すなんて…。そして、『残念ですが』はないでしょう。なんという先生だ、「絶対に元気になって先生を見返してやる」という気持ちになりました。絶対元気になるということは、生半可な決意でなく、静かなる闘志に燃えていました。そんな気持ちの中で入院の日程、手術の概要、他の臓器の検査について、看護師の説明が続きました。主人は立ったり座ったり。東京から飛んできた姉は、いつの間にか倒れていて、隣のベッドで鎮静剤の注射という状況でした。どういうわけか当の私が一番落ち着いていたのかもしれません。

今から19年前の全く予想だにしない、頑健そのものの50歳のときに降ってわいた出来事でした。私は、昔から胃が弱く、病院に行っては、薬をもらっていました。いつも行く主治医は内科の先生だったので外科医を紹介してもらいました。毎年定期健診を欠かさなかったにもかかわらず、結局、胃の5分4、脾臓・胆のう・十二指腸の一部を切除。心配した腹膜播種はなく、ほっとしました。

あと5ヵ月という生存日数を示されたとき、5ヵ月しかないとはとらず、5ヵ月という期間の1ヵ月・1週間・1日を「治す」ために自分なりの計画を考えました。話は前後しますが、手術日の朝、まだ薄暗い病院の窓のカーテンの間から光が射し込み、それがゴールドの芯のようになって私の体に飛び込んできました。その光りはしっかり私の目の前に現れ、体から1枚2枚何かがはがれ落ち、それが傲慢のかたまりで、自分の一番醜い部分だったことに気づいたとき、ただ無心に手を合わせるだけでした。

手術前の一瞬の出来事でしたが、心から先生に謝罪ができたとき、この癌は治るという確信が持てたのです。19年経過した今でも先生とは良い関係が続いています。

病気になっても病人にならない

元気に治って見返してやる、が本音でしたが、そのためには病院から示されたままのことをやっていては前進がないので、いくつか目標を決めました。

【過去は振り返らず愚痴らない】
主治医の告知、癌という病気、たとえどんなに先生の「言葉」に腹が立っても身体にメスを入れてくださる先生です。一生お世話になる覚悟で信頼し、すべてを委ねること。そして自分がまず自分の病気を受け入れること。

【薬について】
今までの自分の薬に対する考えから鎮痛剤は極力使用しない。抗癌剤は使用しない。

【食事】
病院の食事は3分粥がゆ・5分粥に野菜炒め・煮魚・鶏の唐揚げなど、胃のない私には喉を通らないので、個室の台所で主人が特製の野菜の煮物などを作ることを認めてもらい、時々は新鮮な魚を中心とした食材にしました。
特に油・塩分・糖分は控え、現在も続けています。

【運動】
術後2日目にベッドを降り、3日目から廊下に出て歩く。体を丸めず後ろに反って歩く。5日目から点滴台とチューブの袋を持ち、階段を1階から5階まで1段ごとにゆっくり上がる。降りるときは、時間が2倍かかる。

この結果、同じ日に手術した方より抜糸が早く、傷跡はほとんどわからない状態に。先生は、これが自然治癒力だとたいへん喜んでいました。抜糸後は順調で1ヵ月足らずで退院。1週間後には復職し、3、4時間の勤務がかないました。術後1年目の検診では、血液・CTすべてパーフェクトでした。看護師さんたちの拍手の中、担当していただいた先生が一番喜んで力強い握手をしてくださいました。先生に喜んでいただいたことが私には一番うれしかったです。

患者会を立ち上げる

在、私は術後19年目を迎えます。

2000年8月には、アメリカと日本の癌患者が350名参加する日米合同癌患者富士登山に参加、02年には福島県の「癌を考えるひいらぎの会」のメンバーとして、ホノルルマラソンに参加、フルマラソンを完走できるまでに元気になりました。ちょうど術後3年目の検診で、全く異常なしといわれた2週間後、背中の裏が鈍く痛み出し、10日間我慢しましたが、どんどん痛くなり、夜間の診療をお願いしました。当番の先生がカルテを見ながら、順調に回復していますが、そんなに気になるならと、いろいろ調べてくださいました。

その結果、どこにも異常はありませんでしたが、先生の、「大体、あなたのような人が、ちょっと痛いと再発?転移?と病気を作る。こういう人が癌になりやすい。あなたのような人を相手にしていられない、待合室にはもっと重症な人が待っているのだから…」との言葉にはショックでした。

病院から帰る道すがら、私のように病院から十分な答えが得られない患者は、どこでどのように解決していくのか。病院だけを頼らない患者同士が悩み・思いを語り合える場が必要なのでは、との思いから患者会を立ち上げようと決心しました。

仲間とともに

から12年前、21名で「患者ミニ塾」を立ち上げ、マスコミほか、いろいろな方からの協力も得て、『がんを学ぶ青葉の会』を設立、10年にNPO法人にしました。今年設立11周年を迎え、会員は300名で下記のグループが活動しています。

  • にんじんグループ(体に良い食事、玄米菜食など食についての活動)
  • えんぴつグループ(絵手紙、気功、呼吸法、びわ温灸など心の活動)
  • 医療グループ(部位別懇談会、調査活動、資料収集などの活動)
  • やまびこグループ(森林浴、野草摘み、登山などの運動活動)
  • コーラスグループ(唱歌合唱活動)

対外的には、3年前の東日本大震災で当会としてできることを決め、福島市と石巻市に4、5ヵ月に1回訪問して支援物資・カンパを届けています。仮設住宅が完全になくなり、一人でも安心して住める当たり前の生活ができるまで、私たちのできる力で、できる限り思いを伝えていきたいと思っています。
会では1日平均3、4名の電話相談を受けています。10人中9人が情報の洪水から自分で決断できずに気持ちが定まらず、つい自分の首をしめてしまっています。私の体験をふまえ、相談に応じています。『がんを学ぶ青葉の会』の標語は「あわてない・あせらない・あきらめない・迷わない」です。自分と対話しながら続けて欲しいと話しています。

サルから学ぶ

が途方に暮れていた術後1年の頃、大分県の高崎山に、昔から大好きなサルを見に出かけました。100匹前後の集団の中に、胸からおなかがズタズタに破れ、内臓が見える状態でも、集団にノロノロとやっとついていき、餌を探しているサルがいました。野性の宿命で、どんなひどいケガでも手当てはできません。

自分の体は自分で守らなければ生きていけない。うずくまっては、また一歩ひたすら仲間についていく…。私はこの一匹のサルから、癌患者である私たちは、たとえ逆境にいても決して生きることをあきらめない「生きる機微」を教えられた思いでした。