普通に生活できることに感謝

最初は内視鏡的粘膜切除術で

手術は内視鏡、部分切除、全摘の3回

平成20年7月、フルタイムで働きだしてから1年少したった頃、会社の健康診断で受けた胃のX線検査で胃炎と診断され、要再検査となった。以前から時々胃の調子が悪く、近くのクリニックで胃薬をもらっていたので、そこで胃内視鏡検査をしてもらうことにした。

検査は経鼻内視鏡で行い、私も画面を見ることができた。初めて見る自分の胃はピンク色で艶々していた。先生は胃炎の場所らしき3ヵ所の細胞を取り、念のため細胞診に出してくださった。この念のために取った細胞から癌が出て、すぐに尼崎市の関西労災病院に紹介状を書いてくださった。

ショックで落ち込む間もなく関西労災病院で検査を受けると、初期のため内視鏡で取るが、癌が取り切れなかったら、後日、胃を手術しなくてはいけないといわれた。望みを託して9月9日、内視鏡的粘膜切除術(EMR)を受けた。

治療後1週間たち、明日が退院という日に先生から病理検査の結果を聞いた。癌はすべて取り切れたが、低分化型の進行癌を30%含んでいたとの説明があり、年齢が40代であることを考えて治癒率を5%上げるためにも胃切除の外科手術を、と勧められた。このときは癌を告げられときよりもずっとショックだった。それから入院が再び決まって10月23日、胃の噴門部を5分の3切除し、ビルロートⅠ法で再建した。

切除した胃からも郭清したリンパ節からも癌が出なかったので抗癌剤は服用しなくていいとのことだった。入院は2週間の予定だったが食事が始まって4日目から胃が全く動かなくなり、食べた物が胃の中に残ったままの状態になってしまった。食事は一切禁止で再び点滴生活に逆戻り…。

フラフラでパートも退職

して、胃の中の物を取り出すために鼻からチューブを胃まで通して吸い出した。でもすべては抜けず、3日間チューブをつけてといわれたが、このチューブは本当につらく(のどは痛い、動けない、話せない)、先生に泣いて頼んで1日で取ってもらった。少しでも体を動かせば胃も動くかと、点滴棒をガラガラ押しながら病棟をぐるぐるさ迷い歩いた。

後日、当時中学2年生だった娘から「ママが点滴棒を押してフラフラ歩いている姿が目に焼きついて離れない」といわれたくらい歩き回っていた。

退院の目途も立たず1ヵ月が過ぎ、食事はまだ3分粥のままだったが、「病院にいてもすぐに良くならないし家に帰りますか」と先生にいわれた。家に帰りたくてたまらなかった私は、ほとんど食事ができない状態で不安はあったが、料理をするのは自分だし、食べたい物を食べたいときに食べようと思い、翌日退院した。

1ヵ月で7㎏やせて35㎏になった体は、びっくりするくらい弱ってヒョロヒョロ。筋力も落ち、重たい物も持てず、自転車もこげなかった。買い物はいつも家族の誰かに付き添ってもらい、高2と中2の娘たちに家事をしてもらう日々だった。退院時、主治医に「入院中に食事でつまずいた人は案外、退院後は順調で、入院中何もなかった人のほうが救急車で運ばれてきたりする」と励まされたが、その言葉通り退院後は少しずつ食事ができるようになり、翌年1月から仕事に復帰した。しかし、1日8時間の立ち仕事は体に負担がかかり、低血糖で夕方にふらつくこともあったため、結局3月末で退職した。

七夕の日に全摘手術

退 院後の検査が3ヵ月から半年ごとになった頃、胃もたれ感が強くなってきた。前回の胃内視鏡検査時に残滓が多く、よく見えないといわれたため、23年5月の検査では前日の昼から絶食して受けた。その結果、なんと再び癌が見つかった。今度は胃の全摘、胆のう摘出、リンパ節郭清、十二指腸を閉じ、脾臓も摘出といわれた。前回の手術から2年半、やっとおなかの傷跡も消え、体重も5㎏戻ったのに…。

結局、全摘するんだったら最初から全摘すれば良かったんじゃないか。最初の5分の3切除はしなくても良かったんじゃないか。いろいろ考えると気分が暗くなった。でも、その時々に最善の方法を先生が示してくださり、それを決めたのは自分自身だと思って、後ろ向きな考え方は今後絶対しないと決めた。そう決めたことで心の準備と覚悟がしっかりでき、癌ときちんと向き合えることができたと思う。

それからの私は、アルファ・クラブが編集した『胃を切った人の後遺症の克服』『胃を切った人の食事学』『胃を切った人の養生学』などの本を購入し、全摘した後の体の変化やしくみの知識をつけた。逆流防止のためにリクライニングベッドを購入、また1ヵ月家に戻れない場合も考えて、できる限り用事は済ませた。ただ、周りの人たちの動揺はかなりのもので、家族、両親はもちろんのこと、姑に至っては私の顔を見るたびに涙ぐんで、それを見ると申し訳ない気持ちでいっぱいでつらかった。このとき、病気をするって親不孝なんだとしみじみ思った。

手術は七夕の7月7日と決まり、前回と同じ先生の執刀、2回目は癒着があるから手術時間は長くなるかもしれないといわれていたが、やせていたため癒着はなくて予定通り3時間で終わった。幸い脾臓は残し、摘出した胃や胆のう、リンパ節からも癌は出なかった。ステージⅠAで今回も抗癌剤はなしで良いとのこと。抗癌剤を覚悟していたので心底ホッとした。

手術後すぐから経口補水液OS│1を少量飲み、翌日から歩き、食事も少しずつ食べていけた。ただ、朝食後のダンピングがひどく、しばらく動けなかったため、食事日記をつけ、食べた物、量、体の調子を書き綴った。これはその後、手術後543日まで続けた。

ダンピングや下痢に悩まされたが比較的順調な毎日を送り、手術後12日で退院できた。退院時、主治医から「前に胃を切ってるから最初から全摘するより体が慣れていて食事はうまくいくよ」といわれた。確かに食べることはできたが、すぐに下痢で出ていってしまう。ビオフェルミンを飲み、食事も消化の良い物をゆっくりとるように気をつけたが、効果はなかった。体はしんどく、体重も全然戻らなかった。また、前回の手術後、低血糖を経験していたが、全摘後の低血糖はレベルが違って、目の前が真っ暗になり、汗がドーッと出て立っていられなくなる。これが低血糖だとわかってからは、少しでもおかしいと感じたらすぐにグラニュー糖をとっている。

趣味を楽しみ家族のために生きる

を全摘してから2年半、今でも下痢は悩みの種だが、私の場合、食べた物ではなく、体が疲れていて食べ過ぎると下痢をするようだ。下痢は体のサインと思い、つき合っていくしかない。

こんな気持ちを同じ経験をしたアルファ・クラブの方々に聞いてもらうと心が軽くなる。

全摘後に初めて「アルファ・クラブ関西」の交流会に参加して多くの方と知り合い、話をさせてもらうたびに励まされた。胃癌にならなかったら会うことがなかった「お仲間」は、悩みを打ち明け、痛みを共有してくれる心強い存在。これからも大切にしていきたい。胃癌の手術を3種類も経験した人なんて、そういないはず。こんな私でも誰かのお役に立てればと思い、体験記をお引き受けした。原稿を書くために食事日記を読み返し、改めて今の自分を見つめ直してこんなに普通に生活できていることに感謝した。

主治医から「お日さんに当たって、運動して筋力をつけよう」といわれてから、筋トレに通い、パートを週3日勤めながら趣味の着付けや宝塚観劇へ行く日々。ストレスをためずに体を労りながら楽しく人生を送りたい。それが家族のためでもあり、親不孝をしないためでもあると思うから。