子宮癌、大腸癌、そして胃癌を乗り越えて

私は「癌ババァ」

平成19年4月、胃癌で胃を全摘して胆のうも取る手術を大阪国立医療センターにて受けました。

何か人のために尽くしたい

私は、主人の経営する鉄工所で経理事務を手伝っておりました。その主人は10年前、肝臓癌になってから、たった4ヵ月で亡くなりました。私は自分の体の検査を受ける余裕もなく生活していたせいか、どうも胃の調子が思わしくありませんでした。最初はストレスから来るものかと考えていましたが、思い切って2ヵ所の病院で診察を受けました。2つの病院とも悪性の腫瘍ができているという結果で、私にすぐ手術を受けるようにと勧めました。

私は当時78歳でした。歳も歳なのでだいぶ迷いました。「今度手術をしたらもうおしまいでは」と。というのは、30代で子宮の一部、40代で大腸の上行結腸の全部を手術で取っていたからです。

いずれも癌でした。それこそ「癌ババァ」で一生を終えるのかと思ったからかもしれません。胃癌はステージⅡでした。抗癌剤は服用しませんでしたが、術後2ヵ月の入院生活で大変な苦労を味わいました。ガス、便、尿が出ないので、導尿の管を入れました。食事に出たおかゆを見ただけで上げてしまう始末でした。そんなことで鼻から管で栄養剤を入れるつらい毎日が続きました。

それこそ、早くあの世にいる主人のもとへ行きたいと思うことがたびたびありました。でも、病院へは兄夫婦、姪、友人が見舞いに来てくれたので元気づけられ、どうにか退院することができました。その兄も一昨年、肝臓癌で、兄嫁も昨年、肺癌で亡くなりました。そして、私の友人も昨年の3月、心臓麻痺で亡くなりました。その友人を、私は姉のように慕っていました。友人はいつも「何事も人のために尽くす」という性格でしたので、本当に助けられました。子どものいない私は、今、姪夫婦、亡き友人の知り合いたちに親切に面倒を見てもらいながら過ごしています。

話が前後しますが、退院後は無理をせず、普通の生活をしていましたが、手術をしてから3年後に、めまい、やせ、食欲不振、冷や汗があり、手術をした外科の先生のもとへ行ったところ、近くの内科を受診するようにといわれました。家の近くの医療機関に行くと、癌で何ヵ所も傷がある私の身体に恐れをなしたか、診察もしてくれませんでした。

3人の先生にめぐり合う

ころが、先の友人の知り合いから、大阪市住之江区にある咲洲病院の飯田院長のことを聞き、診察を受けることにしました。先生はていねいにすべて検査してくださり、初めて「後期ダンピング」という状態を教えてくださいました。手術前にはそんな症状さえ知らず、改めて癌の恐ろしさを感じました。今は診察と薬や栄養剤の処方と定期的な検査を受け、元気になったことを心より喜んで、お世話になっている毎日です。

83歳にもなると悪いところだらけです。右ひざに血腫ができ、悪性ではないということで、靱帯2ヵ所の切断で助かりました。今は杖つえをついています。頸椎も悪く、住之江区のにしのクリニック(整形外科)で、毎日、リハビリを受けています。歯も術後初めて前歯も奥歯も入れることができ、歯科医の柳田先生には感謝しています。今では消化の良い物を30回ほどよく噛んで食べています。食後におなかが張って横になるときがありますが、飯田院長先生からの内科的に悪いところがないとの言葉どおり、薬を飲んで気にしないことを心がけています。私は3人の親切な先生にめぐり合い、たいへん幸せ者です。

ある雑誌で、アルファ・クラブのことを知って入会し、毎月、会報を楽しみにして読んでいます。若い方々が同じ病で悩み、苦しんでおられること、元気になられたことを拝見し、私もこんなババァでも何か少しでも力になれたらと思っています。

週2回、デイサービス介護センターに通い、食事、ゲームを楽しみ、仲間の人たちからもいつも大歓迎されています。そこで私も何か人のために役に立っていると思うとうれしいです。周囲の人から大病したように見えない、年齢より若い(お世辞と思っていますが…)といってもらい、内心とても喜んでいます。今は毎日くよくよしないこと、落ち込まないこと、何事にも負けないことをモットーにしております。

大の阪神ファン

は若い頃から好奇心が旺盛で、特に塗り絵、読書、そして野球好きです。大の阪神ファンで、皆からあきれられ、笑われています。一番好きなのは藤川球児投手で、孫のように思っています。

また、他の若い選手に大いに期待しています。あと何年、今のような楽しい状態が続くかわかりませんが、私も「何か人のために尽くす」ということを心がけています。親身のように面倒を見てくれている姪夫婦、知り合いの人たちとも交友関係を広げ、いつまでも若いハートを持って過ごしていきたいと思っています。